Symptom 20160820(お萩)

 

 

ねえあなた、想像してみて。そこには目的がないのよ。作業だけが延々と続いている。目的のない作業だけがただ毎日、繰り返されるの。すかすかの、まるで豆腐を切るような手応えのない作業が。

 

誰から受け取った手応えのない作業に、適当に意味のない飾りをつけて誰かに渡すの。それがなぜ、自分が生きるためになるのか分からずに。それがなぜ、自分の生活を保障してくれるのかを理解できずに。ただ右から流れてきたものに適当な作業をし、それをさらに右に送ってやるだけなの。

 

なんのために?人々は生きるためにその作業を繰り返し、作業を繰り返すために生きる。なんのために?そこには、生きている実感がないの。その作業を行うことで、どうして自分の生が保証されるのかっていう実感が。なんのために?目的のない作業だけが延々と続くの。血の通わないすかすかの作業を、今日もまた誰かから受け取り、あらかじめ決められた通りにそれを片づけるだけなの。なんのために?

 

ある意味それは楽なことなんだと思うわ。適当に渡された作業に適当な加工をして、それを適当な誰かに渡す。それだけのこと。

 

でもそれじゃあ私は、はたしてこの世に生きているってことになるのかしら。ほんの少しでいい、私がその作業をしたんだっていう印が、証が、誇りが残らないんだとしたら、その作業が他の適当な誰がやっても問題のない交換可能なものなんだとしたら、私はこの世で生きているって言えないんじゃないのかな。それじゃあ私はただ、作業という形をした巨大なシステムを維持するために、単に生を差し出しているに過ぎないんじゃないのかな。

 

私は適当に生きることなんてできない。適当に生きるくらいなら死んだ方がまし。提供するだけの生なら、いっそ終わってしまった方がいいの。だってそうでしょう?生を提供するだけの生活なんて、もはや死んでいるも同然よ。生きている、その証が残らない毎日なんて、生きていることにカウントなんてされないもの。

 

 

じゃあそう言うおまえは一体どうなんだよ、と言うクールな視線で80センチ頭上に浮かんだ俺が、俺を見下ろす。