「詩と写真 6」

 

 目の前に一軒の家がある。小学校の同級生の家だ。彼女の親は転勤族で、まさに今、その家から引っ越そうとしている。少年、というよりはむしろ、子供と呼んだほうがふさわしい年齢の僕は、何も言えないまま呆然とその家の前に立ちすくむ。僕はあまりに幼く、自分の感情がいったい何なのかさえ理解できない。何かを言うべきなのだが、何を言ったらいいのかわからない。

 

 4月。新学期。彼女の姿はない。

 

 意外な夢だった。ひどく現実の匂いのする不自然に整った夢だった。学校帰り、よく腰掛けて何ということでもなくたむろした、彼女の家の向かいにある小さな教会の階段の、ひやりとしたコンクリートの感触。その隣にあるセイヨウタンポポとシロツメクサに埋め尽くされた空き地の、むせるような雑草の匂い。彼女の父のものだろう、その家の駐車場に停まる白いセダンのフロントガラスの油膜に反射する、ギラギラした日光。彼女の家の前の、よそ見をして頭をぶつけてしまった電柱。そのときの彼女の笑い声。その残響。感覚が、状況が、出来事が、全てが、現実にそこにあるように生々しかった。それは、夢ではない。それはまさに、再現だった。

 

 彼女は盛岡に引っ越し、地元の中学に進んだ。ソフトボール部に入部し、市の大会では県の選抜になるところまで行った。担任教師の横暴さに業を煮やし、他の女子生徒数人と授業をボイコットするといったような、勝気で活動的なところがあった。中学卒業と同時に再び親の転勤に伴って、東京の高校に入学した。高校は女子高で、仏教系だった。そのため、礼拝のときには焚く香の匂いがしみついて大変らしい。近況を知らせる手紙には、そんなことが書いてあった。ソフトボールは、やめたらしい。そして最終的にはホテルビジネスの専門学校へ進学し、軽井沢のホテルに就職したと聞いた。彼女はよく、忘れたことに手紙をくれ、近況を知らせた。

 

 僕も同じように、彼女の去ったこの場所で中学時代で過ごし、高校へ進学して退屈をやり過ごし、大学に進んでどこに向けたらいいのかわからない怒りを内包する青年時代を送った。

 

 僕は自らの怠惰さによって様々なものを失った。そのことは、成長するにつれ幾度となく体験することになる。彼女との関わりもその一つだった。彼女との個人的で親密な近況報告はここ何年かでほとんど途絶え、かろうじて季節のやりとりが続いていただけだった(それでも物事が長続きしない性格の僕にとっては、極めて異例なことだったが)。確か数年前、「転居先不明」とスタンプを押された、見慣れた文字で宛先の書かれた年賀状(それはもちろん僕の字だ)が戻ってきて、それっきりだった。何かでそのホテルは、バブル期の負債を抱えて経営不振に陥り倒産したと聞いた。もちろん、彼女の勤務地であり居住地でもあるそのホテルと寮も、今は住所のない場所になっていた。

 

 その夢を見た日、僕はそんなことを思い返していた。そして同時に奇妙なものを感じた。それは、予感だった。僕は、何かを見のがしているのではないだろうか。僕が見たものは、何かの暗示ではないだろうか。僕は、何かを望まれているにもかかわらず、その果たすべき何かを実行していないのではないだろうか。僕は、言うべき何かを忘れているのではないだろうか。

 

 仕事から帰ると、僕は年賀状やら手紙やらを突っ込んでいる箱をひっくり返した。そして彼女から届いた手紙を順番に取り出した。そしてかろうじてつながっていた彼女との最近のほんの数通のやりとりを、あらためて並べた。

 

 そこには、軽井沢のホテルに就職が決まったこと、何かちょっとした交通事故のようなものに巻き込まれてしまったこと、その結果仕事を辞めたこと、休養期間を経て新冠のホテルに再就職したこと(観光案内のパンフレットが同封されていた)、仕事が休みの日には乗馬などをして生活をしていること、そんなことが書かれていた。僕は、思いがけず彼女の近況に囲まれていることに気づき、驚いた。彼女がどんな職場を選んだのかも、彼女が事故にあったことも、そのせいで職を変えなければならなかったことも、僕にとってはただ繰り返される日常の出来事の一つでしかなかった。しかし、よく目を凝らして「彼女」のことだけを見つめると、そこには決然とした一つの流れがあった。それは彼女の人生だった。そして、北海道から届いた手紙の住所に出した年賀状が、宛先不明で戻ってきたものだった。馬に乗って微笑む写真とともに、彼女の行方はぷっつりと途絶えた。そういえばこの手紙を突っ込んでいる箱も、彼女が転校した春に僕の誕生日にプレゼントを入れて送ってきてくれたものだった。僕は、何かとても重要なことを見過ごしているのではないだろうか?プレゼントはいったい何だったけ?今では過去の様々な記憶の詰め込まれた箱だけが、その出来事の事実を確認する唯一のなごりだ。彼女の手記だけが、彼女の人生のただ一つの証拠だった。

 

 ありふれた旧友との手紙のやり取りに何か理屈のようなものが通ろうとしていた。不揃いのカードの適当な一枚の交換が一転、役のついた意味のある手札に化けてしまう。そんな理屈だ。しかもそれは、決してよろこばしい種類のものではない。それは不吉なカードだった。一見しただけでは分からない、しかし確実に人を蝕む種類の悪意を含んだ札だった。それは今まで幾度となく成立し、密かに悪意を流布してきた札だった。それはいつだって、どこでだって、つねに成立することを止められるべき手札だった。

 

 私は居ましたってこと、ちょっとくらい私だって言ったっていいじゃない。なにも世界中の人に覚えていて欲しいって言ってるわけじゃないんだから。歴史の教科書に載りたいって言ってるわけじゃないんだから。なにも大勢の人たちに聞こえるような大声で、自分の存在を主張したいなんて、そんな大それたことを望んでるわけじゃないんだから。少しぐらいいいじゃない、私の思うようになることがあったって。私よりも恵まれていている人なんて、いくらだっているんだから。恵まれていてもまだ欲しがる、欲の皮の突っ張ってる人だってたくさんいるんだから。そんなに私のしていることはいけないこと?私の望んでいることはそんなに欲深いこと?どうして私はダメなの?仕方ないんだよ、って言われて今まで何度だって我慢したわ。何度もよ。望めばそれがすぐにかなう人だっているのに。私は、私が生きていましたっていうことを、私と関わりのあった人たちの記憶のほんの片隅に、ちょっとだけ置いておいて欲しいだけなの。高橋君、私のこと、覚えているでしょう?私が、あなたと居たっていうこと、覚えているよね?確かに私たちはあの時、居たんだよね?

 

 彼女が訴えているのが聞こえた。本当に聞こえたのだ。彼女には、彼女は実際に居た、という一言が必要とされていた。僕は、彼女の人生を、彼女の記憶を追わなければならない。偶然とはいえ、せめて気がついた僕が彼女の声を聞いてあげなければならない。そして、彼女の声は、誰かの耳に届けられるべきだった。彼女は断崖の端にいた。忘却という暗黒へと落ちる断崖だ。しかし声を発していた。追われることを望んでいた。自分が居ることを、過去の記憶を通して訴えていた。

 

 突然、吐き気が込み上げた。

 

 これは予兆なのだ。

 

 しかし、彼女は消えてしまった。2車線の車道が合流して、突然ぷっつりと一車線になってしまうように。彼女の存在の部分のみを消去し、編集された過去の記録のように消えてしまった。まるで、深い深い穴に落ちてしまったように消えてしまった。

 

 穴は、思いもよらない所にぽっかりと開いている。それはぽっかりと、思いもよらないところで誰かが飛び込んでくるのをじっと待っている。ときどき、穴の中を覗き込む人間もいるかもしれない。しかし興味を持って覗くのは初めだけだ。穴の中は地上とは時間の流れが違っているし、そもそも穴の外の人間には、穴に落ちてしまった人間にかまう暇などないのだ。穴は至る所にあり、人は穴そのものには異常なほどに注意を払っているのだけれども。

 

 彼女は、北海道のホテルに足跡を残して消えた。消えてしまった。

 

 彼女はあの4月に、姿を消した。

 

 忘れられるべきではない記憶。言うべきだった言葉。それに気がついたとき僕はいつも、穴の端で呆然とする。彼女の笑い声を思い起こさせる風の音だけが、穴の底から聞こえたような気がする。それだけだ。

 

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