2018年

3月

02日

(再)Symptom 20161128(№53)(お萩)

(写真:萩沢写真館)

 

ハリキリ先生のハツラツ日記
 

「どーもー!ハリキリ先生です!!今年先生になったばっかりの、初任の高校の英語の先生だよっ!学校で起こったいろいろなことを書いていこうと思いますっ!!!

僕は英語の授業を担当しているんだけど、今、「英語の授業は英語で行うべし」って言われてるんだよね。将来的に「英語でコミュニケーションを取れる高校生」を育成することが、今の高校英語教育に求められていることなんだっ。今日も英語英語で生徒に英語のシャワーを浴びせる授業を展開するぞ!」

「おはよう、ハリキリ先生」

「あ、おはようございます、タダノ先生!」

「ハリキリ先生は今日も元気ハツラツだね。ところで僕は最近、思うことがあるんだよ。「英語の勉強の目的」は「英語が意志疎通ができるようになること」なのだろうか、ってね。」

「えっ、でも文科省からはそういう方針が示されていますよね!?」

「僕は思うんだけど、英語に限らず全ての教科で生徒が体験すべきもの。それは「分かること」なんじゃないかな。僕の今までの経験からいうと、今の自分より少しでも「分かりたい」って思わない生徒はいなかったんだ。

ちょっと話がそれるんだけど、人間は基本的に「よくなりたい」という欲求を持っている。これを学校の勉強でいえば「分かるようになりたい」って言い換えることができるんじゃないかと思うんだよ。

「知る」ことって最高の「快感」なんだよね。理解不能の混沌とした世界に一筋の光が射し、そこに「系」が生まれる。「わからないこと」が「分かる」ようになる、その体験こそが何より大事だと僕は思うんだ。

生徒はまるで患者だ。「分からない」といって診察に来る。僕たち教師は、その生徒が「どこが分からないのか」、そしてそのつまずきを解消する「処方」を与える、そういう仕事なんじゃないかな。

余談だけど、ただ浴びせるように英語で話しかけることで英語が話せるようになるんだったら、毎日昼間に韓流ドラマを見ているうちの妻は韓国語がペラッペラにならなきゃならないね、ハハハッ」 

 

2018年

3月

03日

(再)Symptom 20161130(№54)(お萩)

(写真:萩沢写真館)

 

ハリキリ先生のオッス日記


「オーッス!ハリキリ先生でーす!!今日も(一部の)生徒と話し込んじゃってもう21時、学校閉まる時間になっちゃったぜ!!」

「おや、ハリキリ先生、お疲れさま。」

「あ、タダノ先生。こんな時間まで残っていらっしゃったのですか。」

「うん、教育課程委員会の資料の準備があったからね。教務は裏方だけど色々とやることが多くて大変だよ。生徒と直接にかかわることは少ないけど、学校を支える大事な仕事が多いからね。


しかしハリキリ先生、生徒にモテモテだね。初任者はまず、生徒に関心を持ってもらわないとね。

ところで初任者研修で他の学校の先生に会うと、「先生デビュー」している人も中にはいるんじゃないかい?

「先生」になるような人って、高校時代に一生懸命頑張って教育大に入り、大学でも教員採用試験のために真面目に勉強してたっていう比較的地味な学生生活を送ってきた人って結構多いんだよね。


にもかかわらず、そういう人がいざ「採用」となって現場に赴任すると、若くて元気で、新任ってだけで生徒にモテたりするのはよくあることなんだよね。

敢えて厳しい言い方をすれば、決してその人の人間性が素晴らしいってわけじゃなく、生徒たちと年齢が近く、大きな仕事も任されていないから生徒と絡む暇もあり、新しくきた先生ってことで生徒の関心を引いてるってだけに過ぎないのにね。


まあこれが言うなれば「高校デビュー」や「大学デビュー」ならぬ、「先生デビュー」みたいなものかな。

経験も知識も情報もそれほど持ってなくて、周りのことが見えてないから、職員会議でも空気読めない傲慢な意見を言ったりするんだよね。逆になんで他の先生方は発言しないんだ!なんて憤ってみたりして。

ハリキリ先生も先生になって、生徒からチヤホヤされて喜んでるだけじゃなく、具体的で貴重な情報を生徒に提供できるよう、一緒に頑張ろうね、ハッハッハッ」

 

2018年

3月

05日

かすれたチラシとトモコレ変な記念写真(篠有里)

「雪上ゴミ(宅配弁当のチラシ)」

 

もう雪かきはしたくない。雪が重くて固い。

というか色々あってめんどくさいことは何もしたくない。そんな気分になっております。すさんでいる。

 

本館「街を歩く」も更新してます。見てね。

超広角の作品は本館の方で公開してます。ギャラリー1本超広角で構成するほど作品が無くて

今までこっちで公開するの保留にしてた作品を掲載してるので。

 

 

写真を見返すと、撮った覚えがない写真があったりする。

半分寝ながらプレイしてるのが主な原因。

 

龍如組の2人。演歌調の桐生さんと伊達さん。

これはまぁ普通。

 

 

何を考えてこんな2ショットを撮ろうとしたのか自分が分からない1枚。

フェアリーコスの魔女&悪魔親子記念写真。スーパーナチュラルのクラウリーとロウィーナですね。

 

 

そしてこれである。スーパーナチュラル組による謎の表彰式風写真。

キャスのタオルは水着に修正されてたけど、ディーンの白パンツはそのままだった。

 

 

おまけ。

 

相変わらず般若面をつけたままの真島の兄さん。

赤面するときは般若面ごと赤くなります。もはや顔の一部と言ってもいい。

2018年

3月

06日

(再)Symptom 20161202(№55)(お萩)

(写真:萩沢写真館)

 

ハリキリ先生のなんでかな日記(その1)
 

「まったく、なんでなんだ。何が分からないっていうんだろう。こんなに一生懸命教えているのに‥。」

「おやどうしましたハリキリ先生?」

「あ、タダノ先生。生徒が僕の授業が分からないって言うんです。何度も説明して、小テストまで何回もやっても全然取れないんですよ。宿題もやってこないし‥。だいたい今やってることって中学校で習ったものなんだけどなあ」

「ハリキリ先生は学生時代、英語は得意だったんですか?」

「はい、そうですね。他の科目は赤点取っちゃうことがありましたが、英語だけはウマがあったのか、ずっと得意でした。」

「そうですか‥。実は私はね、中学校時代、英語が一番苦手な教科だったんです。」

「ええっ、そうだったんですか?」

「ところがある時、学習塾に通い出したらとたんに成績がよくなりました。なにも特別なことをしたわけではありません。定期テストに出る範囲の部分を何種類もの別な問題集で解く、といったものでした。

ある教科の教員っていうのはその教科が好きだったり得意だったりした、「センス」のある先生がほとんどなんです。その教科が分からなくて必死にかじり付いて「克服」した経験のある先生って、そんなに多くはないんですよね。

そういう先生は「センス」のある子とはウマが合うんですが、「センス」のない子にとってはいったい何を言っているのか理解できないんです。

「センスのない子」にとって、分からない説明の繰り返しや、理解できてないことに関する小テストの連続、そして意味が分からない問題の宿題が有効であると、先生は思いますか?生徒は先生のことが嫌いなんじゃないんですよ。先生の言っていることが理解できなくて不安なんです。」

 

2018年

3月

07日

(再)Symptom 20161204(№56)(お萩)

(写真:萩沢写真館)

 
ハリキリ先生のなんでかな日記(その2)
 

「それにね、先生、「分からない」から「学ぶ」のです。確かに先生が今教えていることは、中学校での既習事項の復習に過ぎないかもしれません。しかしですね、どの生徒も中学校英語を100%理解して進学してくるわけではなりません。簡単に言うと、全員の英語の成績が100点で入学してきたわけではないのです。どの生徒も「分からないこと」を抱えている。だから「学ぶ」ために高校へ来たのです。

文字にするのはとても難しいのですが、ちょっとたとえ話をしてみましょう。

「教える」ということを「階段を登る」ということに例えます。「センスのある子」は多少大きな段でも乗り越えることができる。でもそれは、「センスのない子」にとって高すぎる段だったりするかもしれません。そういった子に私たちができることは、できるだけその段を低く、小刻みに削ってあげることなんです。最終的には「センスのある子」と同じ高さまで登らせますが、そこまで乗り越えられるように段の高さを整えてあげることなんです。

生徒がどこの段を越えられないでいるのか。そしてそこを越えるためにはそこまでの段をどこまで低く、ステップを細かくしてやればいいか。いつか先生に言ったように、「診断」して、「処方」する。それが私たちの仕事だとは思いませんか」
 

2018年

3月

08日

(再)Symptom 20161207(№57)(お萩)

(写真:萩沢写真館)


ハリキリ先生のおもしろ日記(1)
 

「おや、ハリキリ先生。上機嫌ですね」

「あ、こんにちは、タダノ先生。いやー生徒に受けちゃって受けちゃって。「先生の授業、おもしろい」って言われてるんですよ。」

「ほおー、それはいいことですねー。」

「特に受けるのが、僕が大学生だった頃の話ですね。オンボロ車で友達3人と夜通し日本海に向かって走り続けた話や、岩手にバイクでツーリングに行って、わんこそばを食べたらむせて鼻からそばが出ちゃった、なんて。」

「なるほどー、先生の学生時代の話が「おもしろい」というわけなんだ。」

「ええ、あと真剣に聞いてくれるのが高校生だったっ頃の恋愛の話ですね。ちょうど生徒たちと同じぐらいの年齢だったときの話なので、興味津々って感じです。いやー僕っておもしろい先生だなー。」

「そうなんですか、先生の実体験の話が生徒にも身近に感じられるようですね。」

 

2018年

3月

09日

(再)Symptom 20161208(№58)(お萩)

(写真:萩沢写真館)

 

ハリキリ先生のおもしろ日記(2)
 

ところで先生、私、以前にある経験をしてそれ以来「おもしろい」ということについて考えていたことがあるんですよ。

私が初めて勤めた学校での話です。年度末に英語の点数が足りなくて、数人の生徒に補習授業をしたことがあるんです。補習授業に残った子達は英語が苦手というだけではなく、普段の授業でもなかなか話を聞いていられないという子達でした。 

私が補習授業で教えたことは1つだけでした。それは「主語に対応する be 動詞の変化」です。つまり、「I」なら「am」、「you」なら「are」、「he/she/it」なら「is」に、 「be 動詞」は変化する」ということです。複数の代名詞「we / they」の場合や、代名詞以外の名詞が主語になる場合は教えませんでした。

それを「I (  ) a teacher.」の様な問題文を用いて、ただ覚えてもらったのです。そしてまったく同じ問題文でテストをしました。

するとどうでしょう。その子達は「おっ!これわかる!」、「あ、これ習った!」、「おもしれー!」と口々に言いながら楽しそうに問題を解いていきました。 
 

2018年

3月

10日

(再)Symptom 20161210(№59)(お萩)

(写真:萩沢写真館)

 

ハリキリ先生のおもしろ日記(3) 
 

私は「おもしろい」という言葉を考えるときにいつも、この出来事を思い出します。

人間にとって「おもしろい」という事は、「できなかったことができるようになる、分からなかったことが分かるように

なる喜び」なのではないかと。

そこにはテレビ番組の様な、なにかバカなことをやっているのを見たり聞いたりして感じる面白さはありません。

しかし、成長する喜びを実感する面白さが存在します。

英語ではこの2つの「おもしろい」を分けて表現しています。何かおもしろい物事を見たり聞いたりする面白さを「funny」、そして、興味がそそられ、その興味が満足させられることによって生まれる面白さを「interesting」、と。

この2つのどちらか片方がより「素晴らしい」ものであるということはありません。授業においてはどちらの「おもしろい」も不可欠です。「funny」な雰囲気で常に生徒の注意を授業に向けながら「interesting」な事を教え、生徒の成長欲求を満足させる。それが理想なのではないでしょうか。
 

2018年

3月

11日

(再)Symptom 20161215(№60)(お萩)

(写真:萩沢写真館)

 

「タダノ先生のただの日記(その1)」
 

ではどうして自分が「成長」するはずの「勉強」は楽しくないのか。

翻って考えてみれば、なぜ「運動」は、「ゲーム」は、「カラオケ」は、「男女交際」は楽しいのか。

それは「行動」によって起こる「結果」の出方と関係しているのではないだろうか。
 

初歩のある種の「運動」は、ちょっとしたコツを教わるだけで大きく上達する事がある。ある仕掛けをひとつ知るだけで、「ゲーム」の難易度は大きく下がることがある。「カラオケ」や「人間関係」についても、ある特定のヒントを得ることで大きく改善・前進を見込める場合が多い。
 

一方、勉強は「そうではない」ものの代表的なものとしてあげられるだろう。

「ちょっとしたコツ」で「上達」を感じることがなかなか難しい物だ。

とにかく覚えた単語が、公式が、定理が、それら知識がすぐ、確実に「役に立つ」とは限らない。

また、覚えたことを総合し、問題に取り組まなければならない場面も多い。

つまり「勉強」は、他の行動と比較すると「結果」に「行動」が「反映されにくい」。
 

つまりなかなか「面白く」なりにくい。

「成長」を「実感」することが難しいのだ。 

そして、「成長」の「実感」が少ないと「面白くない」から、「行動」の回数が減る。

するとそれにしたがって身につくことも減る(「成長」が減少する)。

するとさらに「面白く」なくなる。

そういったマイナスの連鎖も陥りやすい。

 

2018年

3月

12日

赤い赤いケースとトモコレ赤い赤い魔女(篠有里)

「ビールケースの眩しい赤」

 

何故か春先になると新しいカメラが欲しくなる。

去年の今頃はHOLGAデジタルの不具合と戦って結局負けてましたね。

2個取り寄せて2個ともダメでした。つか撮れないんすよ。白い四角いデータの羅列が大半を占める>撮った画像。

 

で、愛機A520さんの調子がいまいちなんで、1月からどーにかして手に入れようと頑張っているんですが、

3連続で業者に裏切られて結局手に入ってません。手元に予備として置いておきたいだけなのに…。

3回目の注文なんて商品が届いてないのにカードの引き落とし手続きだけはちゃんとやってて頭クラクラした。

もちろん連絡取って支払いは取り消してもらいました。ちょっと腹の立つ返信だったけどぐっと堪えた。

 

で(2回目)、比較的今でも手に入れやすいトイデジは何だろなーと色々探して結局Vivicam5050を購入。

中古(ちなみに色はシルバー)ですが状態がいいので気にならない。

ちゃんと動作するかテスト中&条件変えて試し撮り中です。触ってみた感触としては、ビビッドモードだと

↑のようにとにかく赤が強く出るという事でしょうか。

赤い被写体向きというか、思ったより結構普通に撮れる方が多いですね。

まだ晴天時に撮れてないので検証しきれませんが。あ、室内は向いてない。これはA520も同じだけど。

販売元の作例写真みたいな彩度どうなってんの?みたいな出来にはならない気がします。

 

本館「街を歩く」の方でも作品上げていきます>ビビカム写真。

 

 

おまけ。

 

スターの服を着こなす赤い魔女ロウィーナの熱唱(一晩中)。

こうなってしまったらマイクは他の参加者にはもう回ってこないのであった。

2018年

3月

13日

鮮やかな車とトモコレハンバーグの本質(篠有里)

「赤・オレンジ・黄色・青」

 

引き続きVivicam5050試し撮り中。

やはり晴れた日に赤系の被写体を撮ると本領発揮しますね。

お花とか撮るといいんだろうな。今は何にも咲いてないから無理だけど。

以下今まで使ってみた感想。

 

・曇りの日でも赤は強く出る。晴れてればもっといい。

・電池は断然Vivicam5050の方が長持ちする。A520さんは電池すぐ無くなるもん。

・シャープネス:high設定だけどそんなにきりっと硬い描写はしない気が。A520の方がきりっとしてる。

・近づき過ぎたわけでもないし、暗いわけでも無いのにたまにピンが来ない写真が撮れる。

・てか↑この写真もピンが来てるかというとなんかどこか微妙な気がするんですが…。

・室内は厳しいかと思ってたけどちゃんと撮れる場合もあり。よく分かんない。

・被写体の色が鮮やかな物を選ぶとビビカムらしい写真になる。

・そうじゃない場合は結構普通に撮れる。すべての被写体が派手になるとゆーわけじゃない。

・赤が赤すぎてぼんやりして見えるほど赤に写る時もあればそうじゃない時も…ってこの感想何度目よ。

 

まだ慣れてないんでこれ以上はなんとも。

私の被写体選びが基本地味なのであまり性能を発揮し切れてないかもしれん。

 

本館「街を歩く」の方で作品掲載してます>ビビカム写真。

 

 

おまけ。

 

トモコレ新生活での私Mii。

ハンバーグの本質を住人に知らしめたり、部屋でモビール遊びしてたり、楽しそうな生活でなにより。

2018年

3月

14日

赤いママダンプとトモコレ公園でうたたね(篠有里)

「雪かきの季節の終わり」

 

引き続きVivicam5050絶賛試し撮り中。見ての通り↑相変わらずものすごく地味な被写体選びしてます。

 

先日ちょいと申請の機会があったんで、ものすごく暗い室内(昭和時代の古い庁舎。昔の役所独特の暗さ)で

試し撮りしてみました。正直かなり厳しいっすね。ほとんど手ぶれだったし。

ホワイトバランスを太陽光のまま+露出プラス方向に補正無しにしてたからしょうがないのかも。

 

つか税務関係の申請だったんですけど、金が絡むと荒れる人間の多いこと。イヤミや怒号を受けなきゃいけない

職員の方々がめっさ気の毒だった。いい年こいたオッサンが大人げなく「お前らは小学生以下だ!」だの、

「口の利き方に気をつけろ!」「お前らを教育し直してやる!」みたく騒いでるの見るとこっちが再教育を施して

やりたくなるんですけどどうか。その狭いケツの穴を封鎖してやろうかオッサン?無くてもいいだろ穴?みたいな。

 

叫ぶオヤジの話の端々を聞いてなんとか事情を推測してみたんですが、どうもそのオッサン、申告する役所を

間違えて「ここじゃその手続きはできません」とか言われた=たらい回しにされた、と受け取ってるみたい。

そりゃそーだ、書類出す役所間違えばそうなるよ。なんで税務関係の書類を福祉事務所や市役所の年金課に

出そうとするんだよ…。悪いのはお前の頭だ。

 

でも職員の人はプロなので笑って受け流してた。さすが。

 

本館「街を歩く」の方で作品掲載してます。よろしく>ビビカム写真。

 

 

おまけ。

 

トモコレ新生活での私Miiその2。

早朝の浜辺でメイド服でたそがれていたり、夜中の公園で芝生の上におまたかっぴろげ状態でひとり寝そべってたり、めっちゃ自由です。

2018年

3月

15日

(再)Symptom「パンの話」まとめ(お萩)

(写真:萩沢写真館

 

 

俺はさっきから小一時間ばかりベッドに横になり天井を眺め、マインドフルネスで習ったとおり息を吸ったーり吐いたーりしながらときどきくる疲れ目をマッサージしたり、直接当たるエアコンの風から足をどかしたりして、さて何から始めようかと考えていた。
 

しかしまったくもう四十も過ぎてるっていうのに俺はいったいどうしたらいいのか、逆に年々迷うようになってきています。何が正しいのか、何を目指して歩いて行けばいいのか、何を貫き通すべきなのか。若い頃に持っていた「根拠なき自信」を失った今、戸惑い、迷い、途方に明け暮れています。(まあ、あれは無くしてよかった、あんなもんいつまでも持ってたら恥ずかしいぜ。)これっていつか終わるんですかね?それともこれが「成熟」ってもんなんですかね?なんか若い頃より生きづらくなっているような気さえするんだよ。
 

キリスト教学の先生は言ってたっけ、「おのれの欲することを人にせよ」って(ついでに「仏教国では「されてイヤなことを人にするな」って教える」って言ってた。そのキリ教の先生は日本人なんだけど洗礼を受けてクリスチャンになってた、ちょっといけ好かねえ感じの野郎だった。多分ゲイだろう)。でもこの「教え」を聞く度に、思い出す話があるんだよな。それは小学生の給食の時間、毎日流れていた道徳めいた話だ。
 

パン屋の話だった。パン屋のおかみさんは、毎日コッペパンの切れっぱしを買いにくる、貧乏そうな若い画家のことを考えてるんだ。描いたって絵なんて売れないんだろう、毎日毎日、その画家はコッペパンの切れっぱしばかし買っていった。どう考えてもそのパンは画家の腹を満たすような代物じゃあない。おかみさんは不憫に思ったんだな、ある日、その画家が買っていくコッペパンにバターを塗っておいてあげた。少しでも画家がおいしくパンを食べられるように、だ。そしたら次の日、その画家がおかみさんのパン屋に飛び込んできた。俺を含む40人のベビーブームのガキ共は、画家がおかみさんに感謝して礼を言うために勇んできたのだろうと思ったよ。そのぐらい小学生のガキでも言わんでもわかるぜ、ってな。そしたら次の瞬間、画家は礼どころか店の中でおかみさんに向かって怒鳴り散らしたんだ。「いったいどうしてくれるんだ!!」俺たちはおかみさんと同じくきょとんとしながらその貧乏な画家の前にただ立ち尽すだけだった。
 

どうだい、つかみはオッケー?続きは次回。


その絵描きはコッペパンの切れっぱしを食うために買っていたんじゃない。そいつはコッペパンの切れっぱしを使って、カンバスに描いた線を消していたんだ。もちろんバターなんてついてたら絵はただで済むわけがない。おかみさんの塗ったバターに気づかずにパンを使っちまったんだろう、絵は台無しだ(もっと早く気づけよ)。おかみさんは自分が望むような親切を貧乏な画家に施したんだけど、結局はそれがアダになって絵はダメになってしまった。
 

そんな話だった。いったいこの物語の何を、学校宇給食を与えられているガキ共の教訓にしたかったのかよく分からないが、とにかくバッドエンドのお話ってものに慣れてなかった小学生の俺はひどく驚いた。その話では桃から生まれた子が鬼を退治してはくれなかったし、灰を巻いたら桜が咲いてお殿様を喜ばせることもなかった。
 

呼吸に集中する。息を大きく吸い、できるだけ長く吐く。吸うことに集中し、吐くことに集中する。吸って、吐く。そうするうちは過去に打ちひしがれることもないし、未来におびえることもない。今現在、ここで呼吸をしている俺がいる。ただそれだけが事実だ。

 

2018年

3月

17日

雪のない歩道とトモコレ変な衣装で記念写真(篠有里)

「K大通りの歩道にて」

 

今年は雪が消えるの早い。

いつもなら4月まで家の周囲の氷(置き雪が凍ったもの)を割って道路にまいてとかす作業を結構長く

やんなきゃならないんだが、今年はそこまでしなくてもかなりの量が自然に雪がとけた。

一昨日までの暖かさ(というより暑さ)のお陰かな。

 

今月中にVivicam5050でここのギャラリー更新しよかなと思ってます。

それにはまず作品数をかせがねば。30枚以上は欲しいのう。頑張って撮影しよう。

 

本館「街を歩く」もよろしく。

 

 

おまけ。

 

晴れて結婚したルー(Hawaii Five-0)と松本さんの娘ルビー。

 

 

しかしその後の新婚旅行の記念写真がこれである。

ルーの衣装が腰みの+ハイビスカスという状態で大都会NYを旅する2人。幸せならそれでいい。

2018年

3月

18日

(再々)Symptom 20160809(№03)(お萩)

(写真:萩沢写真館)

 

全体は部分によって構成される。

しかし、部分の集合は全体ではない。

部分が集まることで、そこには全体性が生まれるからだ。
 

私は一度、部分となった。

それから15年、私は私の部分を探し続けた。

ほぼ全ての部分を回収したが、それらの作り出す全体はかつてと違う全体性を持つようになった。
 

それがよいことなのか悪いことなのか、私にはまだ分からない。
 

事実は、以前とは違った全体性を持つ私が存在しているということだ。
 

俺はきっと、頭が狂ってしまっているのだろうな。

 

2018年

3月

19日

(再々)Symptom 20160812(№04)(お萩)

(写真:萩沢写真館)

 


「ジュッ」と音がしたような気がした。それから突然左の頬が熱くなった。実際にやったことはないが、それはちょうど熱した鉄板に左の頬をくっつけたような感覚だった。それが痛みだと分かるまで少しかかった。それから俺は左頬を押さえながらその場にうずくまって大声で泣き出した。小学生だった俺にとって、「痛み」はすなわち「泣くべきこと」だった。本当のところは痛みで、というよりは、突然のことに「驚いた」だけだったのだけれども。
 

「大丈夫だって、やれるって」俺は言った。俺は4月生まれで、誕生日がクラスでいちばん早かった。その「生まれが早い」という事実は当時、クラスでいちばん年上だということを表し、そして実際、俺は自分がクラスでいちばん(何についてなのか根拠や自覚はないのだが)だと思っていた。
 

俺たちの住んでいた場所は大規模な開発地域で、まだ大型ショッピングモールも地下鉄もできてなかった。空き地(これもたくさんあった)や道の端のそこかしこに、土管やら、単管パイプやら、何に使うのか分からない不規則な形をしたコンクリート製の「何か」やらがそこかしこに中に山と積まれていた。通学路は舗装こそはしてあったが、とにかくなんだか知らないけど急いでコールタールを砂利道にぶちまけた、まるで地下に埋まっていたカプセルを開けたらアキラが出てきてそれを再び封印するために急いで塗り固めたような雑な作りで、しかも工事のために何台ものダンプカーがガンガン行ったり来たりしていたせいで、そこかしこが痛んでいた。
 

「道を渡るのに車が通り過ぎるのを待っているとさ、いつの間にか通り過ぎてることってあるよね?」そんな他愛もないひとことが始まりだった。「そうかなあ?」やなちゃんが言った。こいつは足が臭かった。靴下をはいてないからだ。「うーん??」たかだっちょも何とも答えようがない顔をしていた。まあ普段からなにか、答えに困っているような顔をしていたのだが。「いや、あぶないよう」真紀が言う。転校してきたばかりの真紀には、ぜひ年上としてのいいところを見せなければならない(同じ学年なんだけど)。
 

「自分が強い」という自覚のある者はわざわざ自分の強さをひけらかさないものだ。いちばん年上にもかかわらずやせっぽちで(クラスの男子でいちばん体重が軽かった)、ドッヂボールが苦手で(小学生にとってのドッヂボールは、プロ野球やプロサッカーよりもかっこいいスポーツだ)、まだ暗いところが怖かった俺は、なにかにつけて「いちばん年上である」という「自分の強さ」を(もちろん俺以外はそんなこと、誰も「強さ」のうちに数えてなんていなかったのだが)証明しなければならなかった。
 

「いや、そうだってば」年上の俺の言うことが間違っているって言うのか?「じゃあやってみっからよ」俺はそれを実際に証明せざるを得ない状況に自分からどんどん入っていた。
 

左手側から車道を直進してくるダンプカーを遠目に確認し、目をつぶり、俺はゆっくりと道を横切りだした。
 

不思議なことにダンプカーは俺の左頬「だけ」に熱した鉄板を押しつけられたような痛みを残し、そのまま走り去った。ダンプカーはクラクションを鳴らしたり、避けたりしなかったのか。なぜ、左の頬だけをケガしたのか。そのことについては全く記憶に残っていない。覚えているのは次の瞬間、熱く痛んだ左の頬を押さえて車道にしゃがみ込んでいる自分の姿だけだった(それもバイオハザードのようなサードパーソンシューティングゲームみたいな視点で)。
 

次の日、俺は左の頬に大きな絆創膏を貼って学校に行かなければならなかった。絆創膏は、チキン野郎がチキンじゃないことを証明するために無理してチキンレースに参加し、チキンレースなのにもかかわらず最終的には障害物に突っ込んでしまい、しかも泣いたというドジさとチキンさを証明していた。
 

(暗転~スタッフクレジットロール/BGM スタンドバイミー)
 

2018年

3月

21日

正しく歪む光景とトモコレ新生活な2人(篠有里)

「正しく歪むM川町」

 

引き続きVivicam5050絶賛試し撮り中、というかもう試しじゃなく本格始動ですね。

今月中にビビカム写真でギャラリー更新予定です。

 

使ってて予想がつかないのが面白い。晴れた日の屋外でも手ぶれてたり、何故かピンが来なかったり、

室内でもちゃんと写ってたりそーじゃなかったり。ここでこう来るのかーといい意味で期待を裏切るカメラ。

ただ、使ってて「あ、これははっきりこういうクセがあるカメラなんだ」と思ったのは↑の写真を見たからです。

私は立ち止まらないで歩きながら撮り(逃げ)する派なんですが、動いてる私が通りすがりに看板撮ったら

こんな感じで歪んで写ってた。肉眼では看板はまっすぐ、後の道路も上り坂っぽく写ってるけど平地です。

気をつけてみたら他にもこうやって写ってる写真あったよ。ちゃんと写したきゃ落ち着けって事っすな。

あとは網系に弱いというか、どこにピンが来てんのか分からない感じに写る。それも味だけどね。

ゴミ網や金属製ゴミ箱の撮れ方が明らかにa520さんとは違う。その写真は機会があればここに掲載します。

 

本館「街を歩く」の方も更新してます。よろしく。

 

 

おまけ。

 

新生活の時期になったトモコレ新生活のMii達。人生をやり直したいとのことで特別に幼稚園への入園許可が

下りたJJ(クリミナルマインド)とこの歳になってひとりでできるもん!と初めてのお使いに出た弟Miiです。

2018年

3月

22日

(再々)Symptom 20160816(№05)(お萩)

(写真:萩沢写真館)

 


ここではないどこかに、今の君をありのままに受け止めてくれる場所があると君は信じているようだね。そう、そこはまるで楽園のような場所。しかし残念ながらそんなものはどこにも存在しない。こことは違うどこか、君の全てを受け入れてくれる場所、そんなものはないんだ。それらは全て幻想にすぎない。
 

楽園っていうものはね、いいかい?ここからが大事なんだけど、自ら武器を持って戦火をくぐり、荒れ果てた原野を明日の保証もないまま耕し、そうやって君自身が作り出すものなんだよ。探したって見つからないのさ。なぜなら楽園はまさにそこ、君が立っているその場所にあるからなんだ。これは比喩でもなんでもない。君が今立っているその足の下に楽園は存在するんだ。だから楽園を欲するのであれば、自分の戦場を逃げちゃいけない。荒れ果てた地を耕し、種を植え、水をまくことを怠ってはいけない。そこが戦場だろうと、荒野だろうと、君の生きる場所はそこにしかないんだ。
 

さらに皮肉なことに、「楽園」というのは「戦場」や「荒れ野」と言う言葉と対になるものなんだ。「楽園」があるところ「戦場」があり、「戦場」があるところに「楽園」がある。相補的なものなんだよ。わかるかな、それらの場所は互いなくしては成立しないものなんだ。
 

なぜなら楽園を感じるためには、戦場を感じる必要性が必ずあるからだよ。「楽園」というのは絶対的なものではない。それはあくまで相対的なものなんだ。「戦場」があるからこそ、「楽園」を感じることができる。「不幸」があるから「幸福」を感じることができるのと同じことだ。だから君は自分の戦場を逃げ出すことはできない。逃げた先にエデンの園が待っていることはないんだ。

2018年

3月

24日

(再々)Symptom 20160818(№06)(お萩)

(写真:萩沢写真館)

 


なあ、安穏と暮らせよ?安定した仕事。社会保障。各種手当て。終身雇用。何を焦ってるんだよ、もういいだろう?おまえにしてはよくやったじゃないか。
 

高校の成績は真ん中より下、地方三流無名大学の文学部をどうにか卒業。おまえがこれ以上、何を望む?おまえの努力以上に十分に与えられた生活じゃないか。そんなに欲張ってどうするんだ。もう、十分だろ?
 

満足しろよ。満足して、従って、波風立てずに穏やかに暮せよ。予定された将来に、計画された未来に乾杯、だ。
 

おまえは自分の何が許せないんだい?おまえは一体、何から逃げ出したいんだい?あなたはいったい何から逃げ出したいの?ある旅人が言っていたわ。望むから、苦しいのよ。望みなんて捨てるの。敢えて苦しむことなんてないじゃない。あえてくるしむことなんてないだろう?
 

君はそうやっていつも苦しんでいる振りをし、満たされない自分を演じて、それで自分を周りの連中と違うんだって思いたがっている。でも君は知っているじゃないか。君は他の誰とも違っていない。いかに君がそうじゃないように振る舞っても、君は君を落胆させるに十分なほど凡庸だ。
 

地獄も天国もないんだ。あるのは平坦で平凡なありふれた日々。自己を表現する必要なんてない。そもそも表現する自己なんて存在しないんだ。自己を表現しなければならないほど、お前と他人に差異はない。
 

さあ今日もパソコンの電源を切ってお薬を飲んでみんなと一緒に静かにお休み。他のブタどもと一緒にむさぼるように眠るんだよ、ブタ野郎。

2018年

3月

25日

(再々)Symptom 20160820(№07)(お萩)

(写真:萩沢写真館

 


ねえあなた、想像してみて。そこには目的がないのよ。作業だけが延々と続いている。目的のない作業だけがただ毎日、繰り返されるの。すかすかの、まるで豆腐を切るような手応えのない作業が。

誰から受け取った手応えのない作業に、適当に意味のない飾りをつけて誰かに渡すの。それがなぜ、自分が生きるためになるのか分からずに。それがなぜ、自分の生活を保障してくれるのかを理解できずに。ただ右から流れてきたものに適当な作業をし、それをさらに右に送ってやるだけなの。

なんのために?人々は生きるためにその作業を繰り返し、作業を繰り返すために生きる。なんのために?そこには、生きている実感がないの。その作業を行うことで、どうして自分の生が保証されるのかっていう実感が。なんのために?目的のない作業だけが延々と続くの。血の通わないすかすかの作業を、今日もまた誰かから受け取り、あらかじめ決められた通りにそれを片づけるだけなの。なんのために?

ある意味それは楽なことなんだと思うわ。適当に渡された作業に適当な加工をして、それを適当な誰かに渡す。それだけのこと。

でもそれじゃあ私は、はたしてこの世に生きているってことになるのかしら。ほんの少しでいい、私がその作業をしたんだっていう印が、証が、誇りが残らないんだとしたら、その作業が他の適当な誰がやっても問題のない交換可能なものなんだとしたら、私はこの世で生きているって言えないんじゃないのかな。それじゃあ私はただ、作業という形をした巨大なシステムを維持するために、単に生を差し出しているに過ぎないんじゃないのかな。

私は適当に生きることなんてできない。適当に生きるくらいなら死んだ方がまし。提供するだけの生なら、いっそ終わってしまった方がいいの。だってそうでしょう?生を提供するだけの生活なんて、もはや死んでいるも同然よ。生きている、その証が残らない毎日なんて、生きていることにカウントなんてされないもの。

じゃあそう言うおまえは一体どうなんだよ、と言うクールな視線で80センチ頭上に浮かんだ俺が、俺を見下ろす。 

2018年

3月

27日

(再々)Symptom 20160822(№08)(お萩)

(写真:萩沢写真館)

 


結局今日も俺はただ、寝ころんで奇跡が起こるのを待っている。待ちながら、自分の無能さに呆れている。
 

天分もない。オーラなんてない。カリスマなわきゃない。
 

ただもう、天井を眺めながら世界が変わるのを待っている。時間だけが過ぎる。惰性に流される毎日。
 

日々は刻々と過ぎ「やるべきリスト」も全く更新できない。
 

むしろ、こんなにもやるべきことがあることに気づき、ひどく、疲れる。
 

どうやったら勝ちでどうすれば負けなのか。どうやったら前進したことになるのか。

 
どこに置いてあるのか分からないタイマーが、おかしな時間に「ピピッ」と鳴る。
 

もういい加減にしてくれよ、とつぶやいてみる。
 

2018年

3月

29日

Vivicam5050で更新とトモコレ面長息子編(篠有里)

「M川町の古アパート」

 

2018/03/29 「街を歩く」 Machi wo Aruku 12 更新。

キーワードは「nostalgia」

 

つーわけで、Vivicam5050でギャラリー更新ました。いやー、めっさ突貫作業になっちまいましたが…。

去年も3/29にギャラリー更新してましたね。亡くなった父の誕生日に更新したいと思っているので。

と言うわけでもう1つのキーワードは「父に捧げる」とか「セルフ父の日」にしといて下さい。

 

本館「街を歩く」の方も(なるべく)毎日更新してます。よろしく。

 

 

おまけ。

 

ホッチ(クリミナルマインド)と私Mii夫婦の間にまた子どもが産まれました。

産まれた時は「割と可愛いか…いや普通か?」と思ってたのに、成長したらホッチ寄りになった。

子どもっぽくない地味な顔というか…面長なのが原因か?

2018年

3月

31日

(再々)Symptom 20160831(№12)(お萩)

(写真:萩沢写真館

 


ちょっと遅い昼食をたったひとりで、近所のファミリーレストランでとっていた。(あまりにも中途半端にお昼から時間がずれていたので、「一人なの?ファミレスなのに?」と突っ込む誰かさえ見つからなかった。)
 

八宝菜ピラフをほおばりデザートメニューを遠くへ近くへしながら老眼チェックをしていたら、ひそひそ声だった角のパーテーションに区切られた席から突然、普通の会話よりも1トーン大きな声が聞こえた。
 

「いい!?あんたのはね、頑固じゃなく、意固地って言うんだよ!守りたいモノを積極的に守ること、それが頑固。あんたはね、ただ状況が変わるのが怖くて、単にただ何かにしがみついているだけよ!そんなの頑固って言わないわ!状況が変化(そしてそれは必要であるとあなたはもうすでに気づいているはず!)する事で起こる事物を受け止める自信がないだけ、ただそれだけよ!結局、ワイフビーターの息子なんて所詮、ワイフビーターなんだよ!このマニュアル教師!!」
 

茶髪で短いスカートの女子高生がそう言い捨てて勢いよく席を立ち、ドリンクバーにカルピスのお代わりを取りに行く姿が見えた。きっと「マニュアルなんとか」って言ってみたかったんだろう。
 

店内BGMはジェネシスの「インビジブルタッチ」、オーケストラバージョンだった。
 

後から入ってきて空席を空けた二つとなりのパーテーションの席に座った、中年の男の一人(メガネをかけて、折り目正しいワイシャツを着た清潔感がある方)が、もう一人(さも今たたき起こされて無理矢理急いで着替えさせられたような、上下別なメーカーのジャージを着て寝ぐせ頭にキャップをかぶったような男)に青い顔をして真剣に何事かを相談している。
 

「シャワーを浴びているうちに考えるんですよ、もう仕事なんて行きたくないって。」

「はあー、仕事、行きたくなくなるんだー?」

「髪を洗うときなんて、目をつぶるじゃないですか?」

「うん、目をつぶるー?」

「そうすると一発ですね、もう行きたくなさすぎて死にたくなる。」

「ああ、もうすごく行くのがいやなんだねー?」
 

この時間帯は厨房とホールを兼ねて働いているらしく、呼び出しチャイムが鳴ってもなかなか店員が出てこなかった。「ピンポーン」と虚しくベルだけが鳴る。試しに頭の中でこう言ってからベルを鳴らしてみた。
 

時々死にたくなる。「ピンポーン」

時々身に回りのものが全て嫌になる。「ピンポーン」

デザートにホットケーキをひと

‥言い終わる前に奥から「ただいま参りまーす」と聞こえた。
 

BGMはポリスの「見つめていたい」に変わっていた。