2016年
9月
01日
木
9月の始まりは銀塩時代の魚眼で(篠有里)
魚眼過去作品(銀塩祭り)だよー。
色んなとこ散策&撮影してたけど、海辺の写真が結構多い。
あんま人気のないシーズンオフの海辺をさまよってる写真みたいなの。
今は住宅街中心で撮ってます。
実はこの時期、人と顔合わせたくなくて、そにかく人気のないとこばっか回ってた。
ついうっかり拉致されても分かんない勢いでヒトケが無い。
つか、これより以前の作品をしまったフォルダが見つからないのよ。どこ行ったんだ…。
かなり枚数あるはずなんだ>過去魚眼作品。
左上:リス
右下:小鳥ちゃん
こういう装飾をふんむしって(田舎語)持って行く人がいます。
可愛いけどそんなことしちゃいけない。
左下:タレた例のパンダ
お好きな人には誠に申し訳ないのですが、私このパンダがシュモクザメとだぶって見えてあんま可愛く感じない。
顔が似てるというより、顔の形と目の位置の関係というか…はい、私だけでしょうね、そんな変な意見。ごめん。
こうして見返すと、今も昔も作品の傾向は同じですな。
魚眼好きなんすが、他の人にはあんま良さが伝わりません。残念。
でも私は魚眼で街スナップ続けるぞー。
左下:謎のキノコ
多分毒。
私の部屋にある鉢植え(セロームのセロ子)から生えてきたキノコに似ている。
ちなみにモンステラは「モンステ子」でした。ネーミングセンス皆無。
過去フォルダ見つけたらまたここに作品掲載します。ヨロスコ。
2016年
9月
02日
金
Symptom 20160902(№13)(お萩)
年が明けてからの7日間、僕はまるまる眠ることができなかった。といってもそれはとりたて苦しいものではなく、単に眠りが訪れないというだけであった。しかし、ちょうど1週間目にあった職場の定期健康診断でそのことを告げるとそのまま病院に行くように言われ、病院では医者から、そのまま仕事を休むように厳命された。そして僕は休職期間に入った。
眠れないというのは不思議なもので、初めのうちこそ少し焦ったりしたのだけども、次の日、特に眠気で生活が脅かされるというわけでもないとわかると、その焦りもなくなってしまった。それまで寝ていた時間にベッドに入り、灯りを消して一晩中、暗い部屋で、実際は暗くて見えない天井を眺め、朝がくるのを待つ。
2016年
9月
02日
金
魚眼生活5更新のお知らせ(篠有里)
題名「すくすくトウモロコシ」
「街を歩く」→「街を歩く(魚眼)」 Life with Fish-Eye 5 更新。
キーワードは「Wandering」
魚眼生活5更新しました。
夏らしい写真&花が多めのギャラリーになりました。
蓮や朝顔やトウモロコシ、タチアオイ、ひまわり等々。
全部で33枚、暑い中頑張って撮り歩きましたんでよろしければご覧下さい。
2016年
9月
03日
土
お萩&しのギャラリー更新と過去魚眼(篠有里)
2016年08月16日
「萩沢写真館」→「TC-1」→「盲目の時計職人 5」更新。
2016年09月02日
「街を歩く」→「街を歩く(魚眼)」 Life with Fish-Eye 5 更新。
キーワードは「Wandering」
ブログに掲載してる写真も手ぇ抜いてるわけではありませんが、お互いの本気作品はギャラリーの方に
掲載してますんで、一度ご覧いだだけると幸いです。
今日ここに載せてる魚眼は銀塩時代魚眼です。しまってたフォルダ見つかったの。
1枚目は食べ物っぽい写真まとめです。
右上:ラーメン…食べる前に撮ろうよ。この担々麺すごく辛くて食べるとお腹こわす。でも食べたい。
左下:愛情弁当(母作成)おにぎり万歳。生ヤングコーンのバター炒めもうまい。
2枚目はどれも初期作品ですね。魚眼レンズ買ってうきうきしてた時期。
左下:お気に入りのスノードーム。海外通販で取り寄せた。
今このスノードームは中の水が抜けちゃってからっからです。
修理の仕方か修理してくれるとこ誰か知りませんかね…水にグリセリンを混ぜる、というとこまでは
分かったけど、壊しそうで分解できないでいる。
2016年
9月
04日
日
Symptom 20160904(№14)(お萩)
眠れない日々はそれからさらに7日続いたが、特に健康上に異常がないとわかると、僕は仕事に戻った。
眠れなくなって15日目。仕事に出た最初の日の晩のことだった。自炊をしていると突然、呼び鈴が鳴った。ドアを開けると作業服を着た50前ぐらいの男が愛想笑いをして立っていた。
「いやーすいません、ちょっと間違っちゃいまして。すいませんが少し点検だけさせていただいてよろしいでしょうか?」と言った。僕は鍋に火をかけていたのでとりあえず上がってもらい、なんらかの「点検」をしてもらった。
僕は鍋から手が放せなかったので、男がなんの点検をしているのかよく見ることができなかったが、「これだこれだ、よし、これでよし」と言う声がベッドルームから聞こえた。
詳しい話もできず、どうも次の点検を急いでいるようで、男は「ありがとうございましたー」と靴を履きながら言うと、ドアを開けて去っていった。
鍋の火から少し離れるようになれると、僕は途中の部屋のそこかしこを眺めながらベッドルームへ向かった。
ベッドにはおそらく僕が寝なていない15日間、ずっと寝っぱなしだった男が寝息を立ててぐっすり寝ていた。どこで入れ違ったのか僕は眠らない方の僕で、このベッドに横たわっている僕そっくりの男はぐっすり寝てばかりの男だったようだ。
無性に腹が立ち、寝ている男の尻お思いきりけ飛ばすと、男は目を覚まして「ああ、もう15日か。じゃあ次はあんたの番だ」といって、ベッドから降り、僕を無理矢理ベッドに寝かした。それから15日間の記憶は、僕にはない。
2016年
9月
05日
月
過去魚眼まとめとWandering更新(篠有里)
過去魚眼女性の顔系まとめ。
一昨日の早朝からずーっとブログ村のトーナメントにエントリーできなくて困ってます。
特に読み込めないのが過去記事を呼び出す時。
いくら待っても結局はサーバーエラーになる…。
取得記事**年**月の記事を表示する
がまったくできない。どうなってんだ。
トラバした過去記事も呼び出せなかったけど、今んなってやっとできるようになった。
ブラウザやインターネットのキャッシュ関係全部クリーンアップしたせいでめっちゃ不便になっただけでした。
しかも効果無いでやんの。ううう。
蝶々とお花まとめ。
蝶々はあまりにも活動的すぎて魚眼で全然撮れないんすが、昨日至近距離でのトンボの撮影に成功しました。
いやー、トロくさいトンボで助かった。
2016年
9月
06日
火
Symptom 20160906(№15)(お萩)
「文章38」
彼女はひどく憔悴した様子で言った。
「自分が磨耗しているのが分かるのよ。一日、一日と、少しずつ、本当に少しずつなんだけど確実にすり減っているのが。そのことを考えると気が狂いそうになるわ。ひどい焦燥感に駆り立てられるのよ。でも、それでも体が動かないの。どうしていいか分からないのよ。ただすり減るのを黙って見ていることしかできないの。」
そう言って彼女はガラス越しに外を歩く通行人をきょろきょろと目で追いながら、アイスコーヒーを一口吸い上げた。
「でもね、そうなのよ、きっと。私の中に乱雑に、うず高く積もる言葉。きっとそれにある日突然、天から一筋の光のようなものが射すわ。そして自然の成り立ちと同じように、それらを整然とした「体系」に並べてくれるの。ううん、その「体系」はもともとそこにあって、私はそれに気づいていないだけなのかもしれない。それを示してくれる天啓のようなものが、何かの弾みで私の頭に閃くの。そんな時を待っているのよ。」
僕に天啓が訪れることはなかった。日常との接点を見いだし、社会に慣れることで、僕はある種の力を回復していった。それは僕が病に伏したときに心から望んだ力だった。しかしその回復は同時に、ある種の閃きを失わせていった。ひどく鋭敏だった僕は、どんどん愚鈍になった。しかしそれが僕に見合った幸せなのかもしれない。
彼女はきっと天啓に導かれたのだろう。彼女は幸せだったろうか。
2016年
9月
07日
水
LOMO系銀塩過去写真祭り(篠有里)
LOMOLC-A過去作品まとめ。
一部SuperSamplerあり。
LOMO系ギャラリーのこちらとこちらとこちらとダブった作品は無いと思いますが、まぁ私のすることだからな。
左下:1代目ニワトリのクロ。
大変凶暴でした。
2代目の比内子(比内地鶏)は心優しく穏やかだったけど、クロはもうあのクチバシ攻撃がすげぇ。パねぇ。SuperSamplerで写すとじりじり距離を詰めてくるあの恐怖が完璧に再現されてる。
トーナメントで過去記事呼び出せるようになりました。よかった。
SuperSampler面白いカメラだったのに銀塩じゃな…今使うのは難しい。
失敗前提つーか、使い処が難しかった記憶があります。紹介記事読んだときは「これだ!」と思ったんですが、
実際に返ってきたプリントを見たらあまりに使えるショットが無くてガッカリしたものです。
純粋に私の使い方が下手くそだ、というのももちろんあります。
うまくなるまで使いこなせなかったですねえ。もったいない。
実は1台目壊して2台目を購入したんですよね。
シャッターヒモを引いて、相手に投げると動きのある面白い写真が撮れると聞いてさっそく実行。
受け取り役のイトコくんが見事キャッチ失敗→1台目、ほとんど使わずオシャカ。
駐車場のアスファルトにガシャン!と落ちたあの音、今でも忘れてませんよイトコくん。
お姉ちゃん、心の中はざんざん降りでしたよ。顔には出さなかったけど。
その1台目の命と引き替えに得た作品がこちらにあります。
題名は「私の青空」
この作品しか写ってなかった…本当にこれ1枚。
そして別の四分割トイカメ、ActionSamplerはもっと使いこなせなかったという。
ちなみにActionSamplerは↑このような形の四分割になります。
(これは私が過去作品を4つくっつけた物です)
機会があればActionSamplerで撮った数少ない作品もこちらで取り上げたいと思ってます。
2016年
9月
08日
木
Symptom 20160908(№16)(お萩)
会議百景
「んと、ニュアンス?んーと、えーと、ほんで、ほんでもって繰り返しませんのでもう一度言うと、重要かなと思うものをいくつか8点あげました。そんでB5版の折ってある小冊子風の全部は読みません。英語ではない方です。」
「どうですか?よーしいいんじゃないですか?どうします?ではどうしますか?いいですか?もう一組ぐらいですか?いいですか?少々は仕方ないですね。これで終わりたいと思います。」
「ふざけんなよ!何言ってんだよ!今そんな話関係ねえだろ!てめぇ、弁護士にでもなったつもりか!当たり前の事言うんじゃねえよ!それじゃあ昨日の選考委員会の原案はいったい何だっつーんだよ!だったら一回、てめぇもやってみろっつーんだよ!お前ら全員、バカなんじゃねーの!?バカだバカ!バカども!!」」
2016年
9月
09日
金
お花と過去銀塩魚眼作品まただよ(篠有里)
チョウセンアサガオ。
今の時期トゲトゲの実をつけながら元気に咲きまくってます。
先週の日曜に撮りました。その時はまだ秋と言うより夏でしたが、こっちじゃこれからあっという間に寒く
なるんだろーな…。
で、雪が降る。いやぷー。
寒くなると鍋焼きうどんを箱買いしたくなる。食べる暖房。
過去魚眼花系まとめその2。ピンク色の花編。
右下&左下:前の家の庭木です。
今の庭は日当たりが悪くてなー。山野草にはぴったりなんだけど。
過去魚眼海系まとめ。
やはり海なので夏に撮った物が多いですね。
右上:どっかの子供の落書き。
私が描くならもっとこー、童心に帰ってないような代物を描くよ!
絵よりも書かもしれない。「不労所得」とか。
好きな言葉は不労所得!そして一等前後賞!一攫千金!
左上:干からびヒトデ。
こういうのを見た時は海に戻してあげるマイルールですが、さすがにこれは海に戻しても…。
増えるワカメじゃないんだからふやけはしないだろう。
左下:太陽に暈が。
撮影してるときは気づかなかった。見事な暈っぷりである。
過去魚眼文字系まとめ。
左下:秘境駅の壁に勝手に書いてあった知らん人のポエム。
恥がどうのこうのと書いてあるが、駅の壁に落書きするのがそもそm(以下略)
2016年
9月
10日
土
Symptom 20160910(№17)(お萩)
模擬試験を受けた。自転車がパンクした。引っ越し屋のバイトをした。ピアノを弾いてみた。髪を染めたくなった。風邪で学校を休んだら女の子がノートを取っててくれた。マックでダベった。酒を飲んでみた。遊園地でダブルデートをした。女子の後輩に待ち伏せされた。母親に泣かれた。アメリカに行った。ビートルズに心酔した。友達が学校を辞めた。図書室で英単語の練習をした。駄菓子屋の先輩と歩道橋でデートをした。不良に殴られた。先生の彼女を見た。スタンドバイミーみたいなことがしたかった。友達の恋の相談に乗った。予備校の授業をもぐりで受けた。見知らぬ女の子から挨拶された。寝ていたら先生に学校を辞めちまえと怒られた。新聞配達のバイトをした。ドブに落ちた。ホルンを吹いた。古文の助動詞の活用を覚えた。転校生の友達ができた。つまらない冗談ばかり言っていた。後輩が突然死した。仮病で学校を休んだ。剣道の授業が嫌だった。エロ本を回し読みした。いとこの結婚式に出た。文学に手を出し、諦めた。犬を飼った。雪で滑って自転車ごと転んだ。親父と口をきかなかった。家庭教師がついた。水疱瘡になった。童貞じゃないと嘘をついた。不良の後輩にしたわれた。部活を引退した。カッコをつけてメガネをかけなかった。課外講習を受けた。学校帰りに海水浴に行った。ひどく下痢をした。女の子と手紙のやりとりした。赤点を取った。夜中まで起きていた。自分が何も分かってないと分かった。雪玉をぶつけられた。代数幾何が苦手だった。いつもシャツを袖まくりしていた。テレビの話ばっかりしていた。鼻血を出した。友達の彼女とキスをした。第一志望の大学に落ちた。
2016年
9月
11日
日
次回ギャラリー「Still Life」掲載予定作品(篠有里)
2016年
9月
12日
月
銀塩過去作品祭りLOMOFisheye他(篠有里)
過去銀塩作品を組写真風にしてお送りしております。えー、第何弾?カウントしてない。
こちらはLOMOFish-eyeで撮った作品です。
つーか、LOMOFish-eyeギャラリー3更新に向けて、これらのプリントを再スキャンする作業を進めろと。
30枚強なければ更新に至らないんだぞお前。
涼しくなってから頑張ります。
でもこの元プリント(もしくはネガ)どこ行ったっけ…うろん。
こちらはG1系ギャラリーで使わなかった作品です。
ピンが来てないものに対して厳しく選定し直した。ボツにしたもの多数>現在のギャラリー。
ピンが来てなかろうが手ぶれだろうが、作品として面白いならそれでいい…と思ってもいいはずなのに、
昔からの写真部調教がまだ私を苛む。うがー!
2016年
9月
13日
火
Symptom 20160913(№18)(お萩)
「まーこうやってだいたい2日にいっぺんなんか書いてるわけだけども、これがなかなか簡単なようでそうでもないんだよね。書くときいっつも思うのよ、いったいどっから書きゃいいいんだか、どう書きゃいいんだか、いつから書きゃいいんだか、そもそも端っから書くべき何かなんて存在すんだか、ってね。もやもやっと浮かぶいろんな考えを文字にして、それをこのポメラの画面に出す瞬間、それはそのもとの考え以上に派手な感じになっちゃってたり、それでいて肝心なところが抜けちゃってたり、つまるところ最初とぜんぜん違う形になっちゃってたりで、浮かんだとおりになるなんてことはまーほぼほぼない。いやいやいやなんつーか逆になんらかの形になっちゃった時点で、そのもともとの考えが、不恰好だったり、無意味だったり、なんとなーく場違いな存在に見えちゃうような、そんな悲しいことにもなってたりして。まあカッコつけて言えば、想い焦がれていた絵葉書の場所が、行ってみたらただのうら寂しい原野だった的な?わかるでしょ?」
約束の土地までは、あとどれだけ歩けばいいのだろう。大分、歩いた気はするけれど、それも確かではない。大分、進んだつもりだけれども、それも確かではない。進んでいるのかどうかも、確かではない。あの枯れ木は、さっき通り過ぎた枯れ木と同じものではないだろうか。太陽の位置が、進むべき方向と違っているのではないだろうか。立ち止まれば、足元の泥土が、少しずつ体を飲み込んでいく。進むしかない、たとえもと来た道を引き返しているのだとしても。進むしかない。
2016年
9月
14日
水
過去銀塩魚眼祭り、あんよと球体編(篠有里)
2016年
9月
14日
水
Symptom (トーナメント投稿用まとめ)(お萩)
(1)
彼女のことなんて、すっかり忘れていた。
「南極には二種類のペンギンがいます。コウテイペンギンとアデリーペンギンです。」
テレビにはペンギンが映っていた。
南極で生活する生物で、二足歩行をするものはペンギンしかいない。だから観測員が作業をしているとふいに、アデリーペンギンから呼び止められることがあるという。
28歳と半年。決めるにはもってこいの年月だ。アデリーペンギンに呼び止められた南極観測隊員のように。複雑な葉脈が、実は単純な形の繰り返しであるように。
全ての回復のために、僕は彼女を思い出そうと思う。
(2)
どこを向いても逆光で、何も見えなかった。
彼女は2コースの飛び込み台に制服姿で立ち、まぶしそうに目を細めながら向こうから泳いでくる寿子のタイムを計っていた。彼女がその夏、なぜ泳がなくなったのか僕は知らない。5コースからフリーの選手が飛び込んだ。スイミングに通っている速い子だった。水しぶきがあがる。きゃっと言いながら彼女は笑って水しぶきから顔を背けた。
僕はその一部始終を目を洗う水道のコンクリートのところに腰をかけて見ていた。
そうときどき、どこを見てもまぶしくて何も見えなくなると思い出すんだった。きらきらさざめくプールの端に立って、水しぶきにきゃっと言って笑いながら顔を背ける彼女を。
俺はすっかり忘れていたんだよ、そのことを。アデリーペンギンに呼び止められるまで、すっかり。
(3)
複雑な葉脈が実は単純な形の繰り返しであるように、俺はあの時、彼女に問わなければならなかったんだ。机の落書きのことを。クラッシックギターのことを。落ちた消しゴムのことを。席替えのことを。チョコレートのことを。何度も送った手紙のことを。返信のなかった手紙のことを。歯列矯正のことを。クラス合唱のことを。転校していった洋平君のことを。折り鶴のことを。最後の大会のことを。あの一年に起こった全てのことを。
俺はずんずんズルくなっていく。俺はあまりにも自分をごまかして生きすぎてしまった。俺は投げやりだ。俺はしらけすぎだ。俺はバカだ。俺は、あまりにもそういうことに慣れすぎてしまった。そうやって自分の気持ちをだましたりすかしたりしているうち、本当の自分の感情が何か分からなくなってしまったよ。
俺はいったい何なのだ?何のために生き、何のために死ぬんだ?何の理想も何の哲学もなく、その日一日がただ終わればいい、それだけなのか?俺は自分が誰なの分からない。そして自分のことを攻撃するのがやめられない。自分を許すことができないんだ。
雪は校庭一面を真っ白にしていた。雪原はきらきら光っていて、どこを向いても逆光で何も見えなかった。僕はしかたなくプールの洗眼用水道のコンクリートに座り、ぼんやりと一面の雪を眺めていた。彼女はきらきら輝く雪原の端で第2コースの飛び込み台にたち、友人のタイムを計っていた。5コースからスイミングに通っている速い子が飛び込んだ。彼女はきゃっと言いながら笑って水しぶきから顔を背けた。
今なら彼女に問うことができるだろうか。でも僕は動けない、あの時と同じように。何を問えばいいのか分からない、あの時のように。
結局、僕はこの冷酷で残虐で狡猾な現実で、無惨で粗末でみすぼらしい生き恥をさらして行こうと思う。そこに僕の理想の姿は無いのかもしれない。しかし、それは何より、僕の決めたことなのだ。僕自身の意志で、決めたことなのだ。答えのない問いへの、僕なりの結論だった。
彼女なら、いつだってあのプールサイドにいる。
アデリーペンギンが呼んでいる。そろそろ時間だ。
2016年
9月
15日
木
Symptom 20160915(№19)(お萩)
「まあこうやって一日おきに何か書いてるわけだけど、なんつーか、書くことって意味があんのかなーってときどき思うんだよね。なんかこう、書いてると、書いてるにもかかわらず書きたい事から逆に遠ざかってるような気がしたり、文章にしようとすればするほど、書いててなんか、自分がなにを文にしようとしてんのかってちょっと訳わかんなくなったりする時ってあるんだよね。
話のほころびを手直ししようとしたら逆にほころびが広がっちゃって、それを直す手直しが必要になっちゃったり、補足説明のつもりがその補足説明にさらに補足説明が必要になっちゃって、どんどんどんどん話が本題から離れて行っちゃうような、そんな感じ。
「私の発見は、偉大なる先人の肩の上で行われたものだ」なんてことを偉い科学者が言ってたんだけど、さらに言うとしたら、書くことってのもまた同じ事なんじゃないかって思う。何かを書く。だけどそれって完全なオリジナルなんかじゃなくて、所詮先達の書いたものをなぞっているだけのこと過ぎない。完全なオリジナルなんて存在せず、すべては何かの模倣で、要するに入力されたもの以上の出力を放つなんてことはありえない。何であれ全てはいずれかのソースに頼ってるっつー。そういえばもう一つ、有名なコピーライターが言ってた。「新しいアイデアとは既存のアイデアの掛け合わせである」って。」
それでも僕は、ときどき目の端でちらりとまたたく6等星の光のような脳裏を横切る想いを、気持ちを、愛しさを、表現せずにはいられない。
2016年
9月
16日
金
コスモスを撮り歩く秋だよ(篠有里)
「普通のコスモス」
雨がびそびそ降って薄暗い日に撮りました。
ちょっと暗いとこんな感じになります。
「白いコスモス」
こちらは秋空の美しい日に撮りました。
まだ暑いし歩くと紫外線攻撃が激しい。首のまわりがかゆい。
ウチの庭にもコスモス咲かしたろと思って各種苗を買ってきて植えたんですが、日当たりが悪いのより、
土の質が合わないのがダメな気がする…庭木からの落ち葉の所為でめっさ土肥えてる。
コスモスってあんま肥料を必要としないはずなんで、ウチの庭は向いて無さそうなんですよね。
植えたの全部腐っちゃったし。
土を掘り返すたびに大量のミミズが出現して母を叫ばせるくらいだ>肥えた腐葉土。
2016年
9月
17日
土
Symptom 20160916(№20)(お萩)
「こんな風に毎晩毎晩、しこしこしこしこと書きつらっているんだけど、書くことって、結局何の意味があるんだよって思うんだよね。
どれだけ整理して、細かく具体的に書いても、それが書いてる俺から離れて、読んでる人たちの頭の中で再度、文章として構成されるときにはまるで違う形をしてるんだろうなって思う。いやむしろ「違う形を成すだろう」って思った方が経験上、且つ実際的に見て妥当なんだよね。
こっから見れば確かに夜空の7つの星は‘ひしゃく’の形をしているように見えるんだけど、でもそれはあくまでこの惑星から眺めた場合の話で、ほかの天体から見た7つの星は、もしかしたら‘ちゅうすい’の形をしているかもれないし、もしかしたら‘やまねこ’の形をしているかもしれない。いやーたぶん、何の形すらも成してないんじゃないか。ちょっと悲しいけど、そう考えた方がよほど合理的で、それに効率的でさえあるね。
それぞれの愛の形も違っている(んだろーね、きっと)。俺のこの愛は、彼女のその愛とは違っている。もし幸運だったら、それは多くの部分が重なっているかもしれない。ほんの少ししか共有できていなという可能性だってあるだろう。それでも、少しでも感情が重複した部分があればそれはまだ幸いってもんで、もしかしたら重なっていると思っていた部分は思い違いで、まったく異なった次元に浮かぶ二枚の平行した感情でだったりするかもしれない。つまりは俺の言うこの愛は、彼女にとっての愛ではないのかもしれないっつーことだ。彼女にとっての愛が、常に俺にとっての愛とは言えないってのと同じみたいに。
「それでも、愛するのよ。たとえその確率が何万分の一の小さなものだとしても。それにどんな現象だって、確率的にみれば必ず起こり得るのよ。たとえ何億分の一の確率であっても、いつか私の住む惑星からも‘ひしゃく’が見えるかもしれない。チンパンジーがでたらめにキーボードをたたいて、それが偶然、シェイクスピアの文章の一節になる可能性だって思っているほど低くはないんだし、もしかすると明日、あなたの書きたかったことが世界中の人々にあまねく理解されて、世の中が、パパイヤがいたるところに実る愛と慈しみにあふれた楽園に変わるかもしれない。」
いやーだめだね、そんなことはありえない。」
2016年
9月
18日
日
ふらつき散策、お参りしまくり編(篠有里)
2016年
9月
19日
月
Symptom 20160919(№21)(お萩)
たずねられると困惑してしまう問いを、僕は幼いときから持っていた。それは世間一般ではごくあたりまえに問われ、そして答えられる問いだ。だれもがこの問いをたずねられ、そしてだれもがこの問いをたずねる。あたりまえ、と扱われるこの問いに、僕はつねに困惑させられる。
僕は公立高校の教員をしている。望んでなったわけではない、と思う。もともと僕は、職業というものに対する思い入れのようなものを持っていなかった。大学の4年をむかえた年、同級生たちは皆、教員志望者だった。教員採用試験よりも先んじて始まっている民間企業への就職活動の厳しさを友人たちから感じる機会はほとんどなく、そして僕は、彼らと同様、教員採用試験を受けることになる。
「大きくなったら、何になりたい?」子供によくある希望に満ちた将来の夢を聞きもらすまいと、大人は子供以上に目を輝かせて聞く。
「何か」に「なる」?僕は大きくなると、今の僕じゃない、「何か」に「なる」のかな。それは僕だけじゃなく、誰でもみんな大きくなると、今の自分じゃない他の「何か」に「なる」のかな。それは喜んだほうがいいことなのかな。今の僕じゃあなくなるっていうのは、ちょっと怖いけど、聞いてる人たちはなにか、とてもうれしそうなんだよな。これから先に、僕という人間を大きく変える出来事が待っていて、今の僕をなにかそうじゃないものとすっぽり入れ替えちゃうのかな。そして僕は、「何か」に「なる」のかな。僕は大きくなったら、大きな「僕」になるんじゃないのかな。でもいったい、大きな「僕」になるんだとしたら、それになる「僕」っていうのはどこにいるんだろう。僕が言いたいのは、こうして「僕」という形をとっている状態のことではなく、そうじゃなくて、なんていうかその、「本当の僕」のことだ。この僕の、外の世界に面する「形としての僕」を、実際に動かし、感じさせ、思考させる「本当の僕」、その「僕」はどこにいるんだろうか。
結局のところ僕は誰で、何のために生きていて、これからどうしたらいいんだろう。
質問は幾度となく、表面上はその形を変えこそすれ、何度も僕を問う。
「どんな学校に進学したいんだ?普通高校か、職業高校か?それはなぜだ?」
「自分の希望職種を下記の分類より選択し、記号で答えよ。」
「ねぇ、あなたの夢ってなに?」
漠然とした僕という存在に対し、その僕の意味についての問いがむなしく、ただむなしく繰り返される。
2016年
9月
20日
火
秋空と電線注意をモノクロで(篠有里)
「電線注意と秋の空」
思えば私が写真とゆーものを始めたのは大学生の時分。超昔。
写真部に入部したての1年生はモノクロ(もちろん銀塩)以外やってはいけないとかいう妙に厳しい掟の部でした。
私はモノクロの現像関係(暗室でリールにフィルムを巻く等々)がめっさ下手くそな1年生でして、先輩達に、
「おまえいい加減にうまくなれよ」とすごまれる(男女問わず)くらい不器用な新入生でしたYO!ハッハーン!
そんな文化部系なのに体育会系(撮影してないと電話で呼び出しを食らう…)なあり方に嫌気をさして
部は辞めましたが、なんだかんだあっても写真自体は今現在も続けてます。
でも写真の基礎はモノクロからしつこくやらされた経験が生きてて、それなりに役に立ってます…多分。
2016年
9月
21日
水
Symptom 20160921(№22)(お萩)
部屋の電気は消えている。雨戸も全て閉めた。街路灯に月明かり。いかなる灯りをも全て遮り、部屋の闇は深さを増す。ベッドに横たわるその眼は、開いているのか、閉じているのか。眠っているのか、それとも目覚めているのか。もしかしたら視力を失ってしまったのかもしれない。闇の中にそれらを確信させるものはない。一瞬、光が瞬いた気がする。それはまぶたの裏の残像か神経線維を走る電気信号か。
目覚まし時計の秒針が、ファミレスの床に落とされたアルミ盆のような音を立てる。ぐわんらんらああん。「失礼しましたー」悪びれた様子もない抑揚でウェイトレスは言う。「おにぎりは温めますかー?」いやいや違う、そいつはウェイトレスじゃなくてさっき晩飯を調達したコンビニの店員だ。「韓国でいちばん有名な焼酎の銘柄を知っていますか?」いや違う、それはさっきニュース番組の合間のCMで見た韓流スターだ。「ドコカデ、キータコト、アリマスカ?」「I’m sorry, I don’t あんだすたん. Beg ゆあ pardon?」同僚のスチュアート、何を言っているのか分からないよ?スチュアートは日本語を話し、俺はそれを英語で理解しようと必死になる。一日の出来事が何語で起こったものなのか、意識が混乱する。「アリマスカ?」
見上げる天井がざわざわとざわめいている。あらゆる種類の無数の地虫が天井一面を這い回る。ぽとり、ぽとり。一匹、二匹。それからそれらは堰を切ったように一気に落ちてくる。とっさにベッドから飛び起きようとした瞬間、わかる。自分の体が動かないのを。
あなたはしにました
つづけますか はい/いいえ
気がつくと雨戸の隙間から、梅雨の晴れ間の夏の色彩を帯びた日光が差し込んでいた。
2016年
9月
22日
木
バーガーとチキンと女達と青の魚眼(篠有里)
2016年
9月
23日
金
Symptom 20160923(№23)(お萩)
職場の連中はどいつもこいつもクソったれだった。いい加減な連中が思いつきで回してくるいい加減な仕事に振り回され、頭の中がいっぱいになる。思考が止まってわけがわからなくなる。業務終了時刻には、俺の頭は引っかき回され、何も考えられなくなっている。めちゃめちゃな形のものを、ぐちゃぐちゃに突っ込むから、いっぱいなるのだ。一人で過ごす時間を取り、めちゃめちゃなかたちの端を揃え、きちんと収納する時間が必要になる。だから俺は、仕事の後でやりたいことがたくさんあるのだけれども、家に帰ると思わず呆然となってしまう。整理整頓の時間が必要なのだ。しかし困ったことに、まだ仕事中にもかかわらず俺の狭い頭の中がいっぱいになってしまうときがある。そんなときはウォークマンのヘッドフォンを耳に突っ込む。頭を外の刺激から隔絶するのだ。一呼吸置くのだ。自分と外界を切り離すのだ。そうしないと、今度は次の症状が出る。
今まで「仕事に行くのが吐くほど嫌だ」というヤツの話を聞いたとき、「そんなわけあるか、吐くわけはないだろう、あほんだらが」と思っていた。しかし最近、職場のことをちょっと考えただけで腹にもやもやとした不快感を感じることがある。時にはそれが高じて吐き気にさえなることもある。前の職場では、思い通りに物事が運ばなくてイライラするという事はあったのだが、吐き気は初めてだ。俺はよほどこの職場が嫌いなのだろう、と思う。なんにせよ、あまりいい気分ではない。
まだ雪の残る細い町道を、ぐにゃぐにゃとハンドルを切りながら通り抜け、国道へ出る。そこから市の中心部方面へ2キロ、河川沿いを走る国道をただ延々と、川の流れに沿って走る。市街地へ入る一つ手前の交差点を過ぎたところで、そのまま市内には入らず、高速道路のインターチェンジへ通じる側道へ車線変更する。速度を落とし、少し車を寄せ、窓から手を伸ばし通行券を取る。隣のゲートから車が来ていないことを確認し、上り方面の本線に合流する。徐々にスピードを上げて本線の車の流れに乗る。
ヘッドライトがとらえる範囲からは、道は永遠に真っ直ぐに見え、その簡潔さに少し安心する。俺は幾分多めに頭をヘッドレストに預け、聴くまでもなく音楽に耳を傾け、それまでより少し多めに息を吸う。俺は高速道路が好きだった。真っ直ぐで、速い。シンプルだ。特に高速に乗り込む瞬間が好きだった。そこには人を安堵させる単純さがあった。町内から国道へ、そしてこうして高速道路まで車を進める一連の流れは、身体の末端を流れる血液が少しずつ集まり、だんだんと太い血管に向かって合流し、心臓へ帰っていくようだ。俺は血管の中の一個の血液だ。そんなことをぼんやりと考える。そして俺は、こうやってだんだんと大きな流れをたどって行くにつれ、安らいだ気分になる。あるいは俺は小川の一滴だ。小川は河川へと流れ込み、やがて河口に行き着く。
血は、どこへ行くのだろう。
水は、どこへ行くのだろう。
俺は、どこへ行くのだろう。
こんなんでいいのだろうか? いや、よくないだろう。
口の中で鉄の味がした。 気分はメタリックだった。
2016年
9月
24日
土
現在のひまわりと過去の花魚眼(篠有里)
題名「分かれ道のひまわり」
もしくはすくすくひまわり。
まっすぐ生き生きしてる植物系作品に「すくすく」を付けてしまうのは何故なのか。
ちょっと日がかげってますけど実は超暑いです。蓮を撮りに行ったついでに撮りました。お盆前かな?
去年から愛用してる夏のかごバッグ(萩氏に派手なかごバッグ認定されたブツ)が上部両サイドから裂け始め
ました…どうやらEOS-5D+SIGMA魚眼の重みに耐えかねたっぽいです。
写真撮るならそれなりの丈夫な専用バッグでも持ち歩けばいいものを、都市迷彩(住宅街特化)にこだわった
所為でお気に入りのバッグが今年でおさらばです…ああ…。
でもさー、都市迷彩(普通にお買い物してる女としてごまかせるような)的にEOS-5D+魚眼レンズ搭載した
凶悪な重さと大きさを持つカメラを隠して…いえ収納しておけるバッグってなかなか無いよう。
こちらは過去銀塩魚眼作品まとめ。
以前はピンク系の派手目な花でまとめたのでこちらは清楚系で。
野の花だけでまとめられればよかったんですが、どうしても1枚足んなかった…。
左上:母が植えた椿。前の家の庭なので残念ながら今は無い。
木の下の方は白く、ちょっと上は赤い花が咲く。本命は赤と白が混じり合った大輪の花。
すごくゴージャスな椿でした。今はどうなっているんだろう。
父の形見のショルダーバッグは見た目は小振りながら魚眼装備もばっち来いなええバッグですが、
いかんせん女子っぽくないのが難ですなあ。メスっぽくないんじゃ。
オナゴがでかいバッグ持つのは「それをパンパンにしないで持つ」のが条件だからな。
入れば入るだけ入れてふくらますのは想定外。
2016年
9月
25日
日
Symptom 20160925(№24)(お萩)
結局、伝えようとしなければ伝わらないのだ。変えようとしなければ変わらないし、始めなければ始まらない。僕たちはそういう風にできているのだ。
どれだけ思考をめぐらしても、適切な言葉で、適切な相手に伝えなければ、こちらの意図は理解してもらえない。そして、どれだけ思考をめぐらしても、適切な理屈で、適切な部分を変えていかなければ、嘆くべき状況は変わらない。さらに、どれだけ思考をめぐらしても、適切な方法で、適切なところから始めなければ、何事も完成へはいたらない。
そうであるにもかかわらず僕は、何を伝ればいいのかわからない。どれを変えたらいいのかもわからないし、どこから始めたらいいのかすらわからない。
暗闇で配電盤のスイッチを出鱈目に、入れては切り、切っては入れてみるのだけれども、照らしてほしい部分は照らされず、照らす必要のない部分に明かりが灯る。開演のブザーが鳴っては、止み、暗幕が上がっては、下がる。いったいどこで、間違ったスイッチを押してしまったのだろう。今となっては見当すらつかないし、その見当も推測の域を出ることはない。僕は配電盤の前で、ひどく当惑する。
2016年
9月
26日
月
空き家モノクローム×2枚と忌まわしい記憶(篠有里)
ベニヤで塞がれた空き家。
大学時代、えらく体育会系な写真部に属していた話を以前ここでしましたが、
マジ体育会系なイベントに強制参加とゆー意味の分からない…いえ、ステキな掟がありました。
おい、つか、ゴラァ、こちとら鈍くさいから写真撮ったり文章書いたりしてるんじゃい。
なんで今更強歩大会(夜通し40㎞歩かされる)だの球技大会だの出たくもないダンパとか
挙げ句にミスコンで見せ物になれとかてめぇ。ああん?
ミスコン?1位になれるわけねぇだろ。こちとら普通なんだよ!
その当時は諾々と従ってました。
今なら…うーん、正直あんなねっちょ深い(田舎語)女先輩とは関わり合いになりたくねぇなー…。
ちなみに逆らうと女子の先輩からライドウの説教部屋みたいな仕打ちを受けます。
幹部交代式とかわけ分かんない会合の時は、ドンブリ一気とゆー許されざる伝統が。
萩氏に何か出そうと言われた物件。
幹部交代式=部長やら副部長などの役職交代時の会合。要礼服。
ドンブリの中身はポン酒。
モノクロ時代のトラウマが過去の愚痴を呼び覚ます…。
その後、辞めずに1人残った同級生がまたアレな事やらかすんですがその話はもうしたくない。
えー、体育会系なイジメとしきたりを乗り越えると、勝ち残った人間は自分のされた仕打ちを倍にして
後輩に返すんだなーと、挙げ句に学校単位で図々しい事をして恥じない人間になるんだと。
でも今写真撮るのが好きでいられるきっかけを作ってくれた事だけは感謝してもいい>部。
すげぇ譲って。すぅげぇぇぇ譲って。
2016年
9月
27日
火
Symptom 20160927(№25)(お萩)
「『ツイスト・アンド・シャウト』の頃」
「Twist and Shout」がアルバム「Please Please Me」に録音された当時、彼らのマネージャーは(ブライアン・エプスタインだったか?)ジョンがライブでその曲を歌い、声を枯らさないように制止するのに必死だったいう話を何かで読んだ。
ハイテンション水泳※でその日の部活を締めくくり部室で学生服に着替えていると、小西は、丸い手鏡を器用に壁に立てかけて(その部屋には割れてたり曇ってたりでまともな鏡がなかった)タオルで乾かした髪をギャッツビーでなでつけていたのだが、今日もまたニヤニヤしながら俺の更衣室をのぞき込み、突然大声で「♪ウェル・シェィクイットアップ・ベイべーナーウ!!」と歌い出した。
タイムも成績も、気になる女子部員のことも、彼らの曲があれば(とりあえずは)どうでもよかった。「愛」の意味なんて誰一人わかっているはずがなかったけれども(「つまり結局はさ、君が得る愛は君が与える愛に等しい」なんて男子中学生に理解することは絶対に無理だろう)、狭くて、窓が一つもなくて、ツーンと塩素臭くて、床がつるつる滑って、蛍光灯が不健康な青白い光を放っている男子水泳部の部室で、更衣室の壁に貼り付けてある、単語にカタカナで読み仮名が振られた歌詞カードのコピーをなぞってド下手な英語で「ツイスト・アンド・シャウト」を怒鳴り散らせば、それでとりあえず全てはオーライだった。
※「ハイテンション水泳」とは
ハイテンションで25mを泳ぎ切る水泳のこと。「うぉーっ!」と叫んでプールに飛び込み、水面で思いっきり腹を打った後、息継ぎをする度に「でゃっ!でゃっ!」と声を出しながら泳ぎ、ゴールにタッチした後、拳を突き上げながら再度「うぉーっ!」と叫んで泳ぎ切った喜びを表現するというもの。泳法は各自得意なものでよい(背泳を除く)。
2016年
9月
28日
水
ボートとめっこ飯と強歩の思い出魚眼(篠有里)
貸しボート…60分千円。
貸しボートというのはかくも高かったもんなのか。
すげぇ子供の頃に1度乗ったっきりなので分からん。しかもその当時いくらだったかも分からん。
まともに漕げない&逆方向に進むかその場で回転するかで、もう二度とボートには乗るまいと思った記憶が。
自分…不器用ですから…。
貸しボート小屋にちなんで過去銀塩作品はお船っぽいものまとめ。
海のない場所に越してきた今はこーいうの撮れない。
うああ、この前のモノクローム廃屋記事ん時、強歩大会の話をしましたが、アレについてまた忌まわしい記憶が
蘇りやがりましたよ…うげげぇ。
夜通し歩かせるくせして補給(晩飯)関係がこれまたいじめみたいなメニューで。
めっこ飯(めっこままと読む:芯がある硬い出来損ないご飯)のおにぎり、具はアーモンドチョコレート、みたいな。
これが伝統とかおまえ氏ね、氏ねじゃなくしn(以下略)とか思いました。
何をどうやったらあんなまずいご飯が炊けるんだ!
わかんね。
2016年
9月
29日
木
Symptom 20160929 (№26)(お萩)
「詩と写真6 2016」
(1)
一軒の家の前にいる。小学校の同級生の家だ。彼女の親は転勤族で、まさに今、そこから引っ越そうとしていた。「少年」というよりはむしろ「子供」と呼んだほうがふさわしい年齢の僕は、呆然とその家の前に立ちすくす。僕は幼なすぎて、自分の感情がいったい何なのか理解できない。何かを言うべきなのだが、何を言ったらいいのかわからない。
4月。新学期になって彼女の姿はない。
ひどく現実味のある、夢と呼ぶには不自然に整った夢だった。学校帰りによく腰掛けて、いつまでも下らないおしゃべりをした、彼女の家の向かいにある小さな教会の階段のコンクリートの感触。その隣の、セイヨウタンポポとシロツメクサに埋め尽くされた空き地の、むせるような雑草の匂い。彼女の父のだろうか、その家の駐車場に停まる白いセダンのフロントガラスに反射するギラギラした日光。彼女の家の前の、よそ見をして頭をぶつけてしまったことがある電柱。そのときの彼女の笑い声。その残響。
感覚が、状況が、出来事が、全てが現実にそこにあったかのように生々しい。それは夢ではない。それはまさに再現だった。
2016年
9月
30日
金