(写真:萩沢写真館)
もうずっと昔に、怒ったり腹を立てたり、理不尽なことに憤ったりすることなんて忘れちまった。
僕にとって怒りは、主たる世界との関わり方だった。怒りという感情を通して自分の存在を確認し、自分の輪郭を縁取ることができた。僕いわば怒りを内包した少年だったのだ。生きるに従い、世間との他のコミットメントの方法があると知ることになるが、そのときの僕にはそれが全ての方法だった。繰り返すが、怒りは僕にとって主たる世界とのかかわり方だったのだ。
現在の僕は、怒りを感じるほど世界に期待しなくなった。何かに対して怒るほど、世界に関わりを持ちたいと思わないようになったと言ってもいいだろう。何に対しても怒りを感じることはない。ただ、すべてがどうでもいいのだ。
怒りを感じなくなった今、僕はときどき自分がまるで空っぽになってしまったような気になります。結局僕は、何に対しても、誰に対しても、興味や関心を失ってしまったのかもしれない。何もかもがどうでもいい。どこに行こうが、誰に会おうが、何が起ころうが、すべてがどうでもいい。
あのとき、身の回りのすべてのものに怒りを感じていた少年は、現在の僕を見てどう思うだろう。攻撃性を失った僕を、どう思うだろうか。
今日も眠れない。時計を見るとまた3:33だった。