(再々)習作;「彼」について(お萩)

(写真:萩沢写真館



「まいっちゃったわ。「夏野菜のカレーだよ」なんて、「へぇー、料理もするんだぁ」とか言われたげな満面の微笑で言うんだもん。思わず吹き出すところだったわ。「自然を満喫しよう」とか言って、ピカピカの4輪駆動車でオートキャンプ場に行ってそのご自慢のカレーを振舞う、そんな自分が大好きって感じのタイプだったわね。どこそこの有名な炭とか、なんだか小難しい名前のようするに菜っ葉でしょ?っていう南欧だかどこだかの野菜とか、そんなもんを持ち出してきて野外料理を気取るんだけど、本当は満足に火をおこすこともできない。そもそも“美学”を持っている人間が、わざわざ自分の“美学”についてご開帳する必要があるのかしら?カレーも同じよね。カレーは、彼にとって(洒落じゃないわよ)“男らしさ”という美学の象徴なのよ。“男らしい”人間は“男らしさ”を誇ったりはしないわ。フロイトが存命なら、夢判断の“男性を象徴するもの”の中に、間違えなくカレーを入れたわね。いや、おそらく食べ物にこだわりすぎてるということで、彼を口唇愛的人間とみなすかしら。」
 


「3年前、彼は川で溺れて死んだの。河原でバーベキューをしている最中だったわ。深い川じゃなかったんだけど、彼は泳ぎがうまかったから油断したのね。ちょっと奥のところまで泳いで行って、そこで蛸壺にはまったらもうそれっきり。再び浮かび上がってくることはなかったの。 彼の遺体が見つかったのはもう海に近い河口付近の中洲だったわ。彼の最後を後で彼の家の人から聞いたとき、いろんなことを考えたわ。暗い水の底にもがきながら引き込まれていく彼。水が肺の中にいっぱいに満ちて、もう終しまいかもしれないって思ったとき、あぁ、自分はもう死ぬんだなって思ったのかなとか、私と会えなくなって寂しくなるなって考えてくれたかな、とかね。本当に不思議。生きることに絶望していた私がまだこうして生きていて、まさに生を謳歌していた彼がもうこの世にはいないなんて。」