(再々)Symptom 20160130(№71)(お萩)

(写真:萩沢写真館

 

 
そもそも一人で住んでいるのに、ものがなくなるわけがない。しかし見つからないのだ。よりによってそれはツメキリ。ツメのさきっちょの白い部分は悪である、というのが俺の思想体系の中核をなしているわけだが、そんなめんどくさい哲学を背負っているおかげで俺はとにかく頻繁にツメを切る。しかし、ないのだ、ツメキリが。
 

ダイニング兼書斎兼リビング兼男の隠れ場の、まぁ簡単にいうと居間のテーブルの上に、ない。大切なものはまとめて保管しておくようにと、海軍出身のおやじの言いつけを守り、通帳やら財布やら車の鍵やら腕時計やらはかろうじて床の上ではなくテーブルの上に散乱しているのだが、肝心のツメキリが、ない。財布や通帳は無事なので盗難というわけではないだろう。しかし、一人で住んでいて使う人間はまさに自分自身のみなのに、ないのだ。
 

ホワイ?オーケーオーケー、まぁいいさ。なぁ、よく考えてみろよ。オマエはもう、30も過ぎたいい大人だ。今日はもう、そんなツメキリなんてちっぽけなもののことなんて忘れてぐっすりと眠り、明日、職場に行って同僚にいつもどおり明るく挨拶を交わしてから医務室へ行き、そこで備え付けを借り、気が済むまで、もうフカヅメするまでツメキリを堪能すればいいじゃないか。なぁ、そうだろ、ちょっとナーバスになってただけさ。オマエはスーパークールだ。と、鏡に映った自分を見つめながら先日感情をコントロールするセミナーで習った自己暗示を試してみたが、忘れよう忘れようとすればするほど親指のはじっこの、ツメがちょっと、カーブしている部分の白いところがもう、気になって気になってしょうがない。
 

いや、ちょっとまてよ。男の身だしなみキットは確か、洗面所にまとめておいてあったはず。きっとツメキリもそこにあるに違いない。物は分類して保管しろ、これも海兵だったおやじの教えだ。俺も海軍に入ればよかった(うそ)。洗面所にはミミカキとケヌキとハナゲシザーズが、有事に備え整然と蛍光灯の明かりを反射させていた。冷静な質感のメタルボディが、確かにコイツらならいついかなる非常の事態に陥っても適切に俺の期待に答えてくれるだろうと確信させた。
 

しかし問題はツメキリだよ。ツメキリはやはり、ない。ツメなんて最終的にはかじっちゃえばいいんだけど、うまくかじらないとまた別なところが気になるでっぱりになっちゃったりするんだよう。俺は、精神安定剤をいつもの倍、服用し、さらに併用を禁止されているアルコールをあおって意識を強制終了し、ベッドにもぐった。
 

翌日、仕事が明けるとまっすぐにデパートへ向かった。男の隠れ家に相応しいツメキリを物色するためだ。紛失したツメキリというのも実は、宿泊の出張中にどうしても足の親指のはじっこのカーブしている部分が気になって、またそれがベッド上でポジションをかえるたびにシーツに引っかかってムキー!となるので、コンビニに駆け込んで買った、不細工ないかにもコンビニ然したツメキリだったのだ。せっかく新しいのを買うのだ。やはりブランデーを傾けて一日の疲れを癒しながら、悠然とツメをグルーミングする、そんな大人の時間を満足させてくれるタイプのものが、今の俺には相応しい。BGMはラウンド・ミッドナイト。マイルスクインテット。
 

先日、そのダイニングの仕事机兼食事机に常備しているボックスティシューがなくなったので、新しいものと交換した。最近の箱ティッシュはつぶしやすくできてるからベンリやね、とか思ってカラになったほうのテッシュボックスを取り上げると、不相応に、重い。空のテッシュ箱というか、中にテッシュが詰まっていてもありえない質感の重さだ。不思議に思い、側面のタタミジョーズをべこりと押して箱を傾けると、失踪していたコンビニツメキリが中からいきおいよく滑り落ち、足の甲に直撃した。