(再々)Symptom 20161018(№35)(お萩)

(写真:萩沢写真館

 


2004年11月21日、日曜日。彼は、故郷の駅裏の必要なもの以外は一切置いてないというタイプのビジネスホテルの一室で、4年ぶりに高校時代の部活動の先輩と携帯電話で話をしていた。硬貨を入れるとスイッチが入るタイプのテレビジョンでは、有名無名のタレント達が自分達の芸名の画数占いに一喜一憂していた。
 

「想像してみて。あなたは中国の古い王朝の皇帝で、私はその妃なの。そしてあなたの帝国は、大移動してきた北方の異民族によって、今まさに征服されようとしているの。あなたと私はその様子を、異民族に囲まれた宮殿の窓から見ている。城下町の方々からは煙が上がってるの。」
 

「わからないな。そんな想像をすることに意味があるのだろうか。僕たちは、よりよく生きようと思うからこそ、悩み、苦しむんだ。現状を変えたいと思うから、辛い気持ちになるんだ。希望を持つから絶望する。未来という時間を自覚的に捉えることができる。それが人間と動物の違いだ。人は、未来を変えられる。先のことを考える。動物にそれはできない。彼らにあるのはその瞬間の快不快だけだ。だから僕たちは、明日の希望のために今日の絶望を耐えるんだ。」
 

電話を切ったあと、彼はまるで初めからそう決めてあったかのようにニンジンをベッドサイドの戸棚から取り出すと、それを口にくわえた。携帯電話での会話から17分後、ニンジンから発射された一発の弾丸が彼の脳天を貫き、脳漿を水墨画の掛け軸いっぱいにぶちまけ、絶命させた。それはさながら、和をテーマにした現代芸術のようだったと、隣室の宿泊客からの通報で駆けつけた斉藤守巡査(27)は語った