(再々)Symptom 20160913(№18)(お萩)

(写真:萩沢写真館



「まーこうやってだいたい2日にいっぺんなんか書いてるわけだけども、これがなかなか簡単なようでそうでもないんだよね。書くときいっつも思うのよ、いったいどっから書きゃいいいんだか、どう書きゃいいんだか、いつから書きゃいいんだか、そもそも端っから書くべき何かなんて存在すんだか、ってね。もやもやっと浮かぶいろんな考えを文字にして、それをこのポメラの画面に出す瞬間、それはそのもとの考え以上に派手な感じになっちゃってたり、それでいて肝心なところが抜けちゃってたり、つまるところ最初とぜんぜん違う形になっちゃってたりで、浮かんだとおりになるなんてことはまーほぼほぼない。いやいやいやなんつーか逆になんらかの形になっちゃった時点で、そのもともとの考えが、不恰好だったり、無意味だったり、なんとなーく場違いな存在に見えちゃうような、そんな悲しいことにもなってたりして。まあカッコつけて言えば、想い焦がれていた絵葉書の場所が、行ってみたらただのうら寂しい原野だった的な?わかるでしょ?」


約束の土地までは、あとどれだけ歩けばいいのだろう。大分、歩いた気はするけれど、それも確かではない。大分、進んだつもりだけれども、それも確かではない。進んでいるのかどうかも、確かではない。あの枯れ木は、さっき通り過ぎた枯れ木と同じものではないだろうか。太陽の位置が、進むべき方向と違っているのではないだろうか。立ち止まれば、足元の泥土が、少しずつ体を飲み込んでいく。進むしかない、たとえもと来た道を引き返しているのだとしても。進むしかない。