(再)Symptom 20161215(№60)(お萩)

(写真:萩沢写真館)

 

「タダノ先生のただの日記(その1)」
 

ではどうして自分が「成長」するはずの「勉強」は楽しくないのか。

翻って考えてみれば、なぜ「運動」は、「ゲーム」は、「カラオケ」は、「男女交際」は楽しいのか。

それは「行動」によって起こる「結果」の出方と関係しているのではないだろうか。
 

初歩のある種の「運動」は、ちょっとしたコツを教わるだけで大きく上達する事がある。ある仕掛けをひとつ知るだけで、「ゲーム」の難易度は大きく下がることがある。「カラオケ」や「人間関係」についても、ある特定のヒントを得ることで大きく改善・前進を見込める場合が多い。
 

一方、勉強は「そうではない」ものの代表的なものとしてあげられるだろう。

「ちょっとしたコツ」で「上達」を感じることがなかなか難しい物だ。

とにかく覚えた単語が、公式が、定理が、それら知識がすぐ、確実に「役に立つ」とは限らない。

また、覚えたことを総合し、問題に取り組まなければならない場面も多い。

つまり「勉強」は、他の行動と比較すると「結果」に「行動」が「反映されにくい」。
 

つまりなかなか「面白く」なりにくい。

「成長」を「実感」することが難しいのだ。 

そして、「成長」の「実感」が少ないと「面白くない」から、「行動」の回数が減る。

するとそれにしたがって身につくことも減る(「成長」が減少する)。

するとさらに「面白く」なくなる。

そういったマイナスの連鎖も陥りやすい。