(再)Symptom 20161128(№53)(お萩)

(写真:萩沢写真館)

 

ハリキリ先生のハツラツ日記
 

「どーもー!ハリキリ先生です!!今年先生になったばっかりの、初任の高校の英語の先生だよっ!学校で起こったいろいろなことを書いていこうと思いますっ!!!

僕は英語の授業を担当しているんだけど、今、「英語の授業は英語で行うべし」って言われてるんだよね。将来的に「英語でコミュニケーションを取れる高校生」を育成することが、今の高校英語教育に求められていることなんだっ。今日も英語英語で生徒に英語のシャワーを浴びせる授業を展開するぞ!」

「おはよう、ハリキリ先生」

「あ、おはようございます、タダノ先生!」

「ハリキリ先生は今日も元気ハツラツだね。ところで僕は最近、思うことがあるんだよ。「英語の勉強の目的」は「英語が意志疎通ができるようになること」なのだろうか、ってね。」

「えっ、でも文科省からはそういう方針が示されていますよね!?」

「僕は思うんだけど、英語に限らず全ての教科で生徒が体験すべきもの。それは「分かること」なんじゃないかな。僕の今までの経験からいうと、今の自分より少しでも「分かりたい」って思わない生徒はいなかったんだ。

ちょっと話がそれるんだけど、人間は基本的に「よくなりたい」という欲求を持っている。これを学校の勉強でいえば「分かるようになりたい」って言い換えることができるんじゃないかと思うんだよ。

「知る」ことって最高の「快感」なんだよね。理解不能の混沌とした世界に一筋の光が射し、そこに「系」が生まれる。「わからないこと」が「分かる」ようになる、その体験こそが何より大事だと僕は思うんだ。

生徒はまるで患者だ。「分からない」といって診察に来る。僕たち教師は、その生徒が「どこが分からないのか」、そしてそのつまずきを解消する「処方」を与える、そういう仕事なんじゃないかな。

余談だけど、ただ浴びせるように英語で話しかけることで英語が話せるようになるんだったら、毎日昼間に韓流ドラマを見ているうちの妻は韓国語がペラッペラにならなきゃならないね、ハハハッ」