Symptom 20171029(№100)(お萩)

(写真:萩沢写真館)

 
(6)


断っておけば、俺たちはけっしてキラキラ輝くノスタルジックな思春期を送ったわけではない。懸命に歩行訓練をしているリハビリ中の老人を、屋上のプールから「じじい!」と大声で罵ったり、ジョギングと称しては部活中に近所の荒れ寺へ行き、山門のカゲで落ちているエロ本を回し読みしていたりしていた、どうしようもない薄汚いただのクソガキどもだった。


しかし俺は、確かにクソガキだったけれども、ただ心から知りたいと思うのだ。すさまじい数の過去形の疑問文の答えを。過ぎた日の出来事を全貌を。彼女との思い出の、その本当の姿を。


技術家庭の時間の机での「文通」相手は誰だったのか。あの日、机の中にあったものは一体、誰が何を考えてそこに置いたのだろうか。彼女はなぜ、俺と話すことを止めてしまったのだろうか。部活動の友人から聞いた、「最後の大会の光景」の記憶は、いったい何物なのだろうか。彼女からもらった手紙の正解は、いったい何だったのか。


そして、ここには書かなかった、図書委員会のアンケートの「いえいえ」のことを。彼女に渡したバラの花の思い出とオルゴールのことを。


新しい場所、新しい同僚、新しい生徒達。何もかも新しい職場にやって来て俺は、再び「ATGCさん」の名前を聞いた。彼女は予想もつかないところから30年ぶりにやって来て、そして俺はというと何というかそういう彼女に関する一編のことをわーっと思い出していた。「なぜそんなことを?なぜ今になって?」


俺はずっと長いこと彼女のことを、まさに何度も夢に見てしまうほど、そして彼女のことを考え時間が過ぎてしまう程、とても彼女が好きだった。そんな時期がやって来ては去り、去ってはやって来るということを繰り返していたんだけれども、しかしもはや30年前のあのとき、中学生だった俺たちに何が起こったのかを知る者なんて誰もいないんだろう。時は不可逆である。このことを深く胸に刻み、疑問を抱えて今日を生きるしかない。それっていうのは結局、まったく見知らぬ場所で突然、よく見知った名前を耳にしたり、ある日急に、お互いを想い合っていると考えていた人と音信不通になってしまったり、あったと証言した友達がそのことをまったく覚えていなかったりするような、そんなようなことなのだろう。