Symptom 20170928(№88)(お萩)

(写真:萩沢写真館)

 

 

今年の夏、原因不明の昏倒状態を2度経験した俺はその度に救急車で脳外科に運ばれ、それぞれ数日間ずつぶち込まれた。だが医者を見かけるとすぐに「出してくれ~出してくれよ~」と懇願していたおかげで何とか何日かで退院でき、娑婆の生活に戻った。戻ったのはいいけどその後結局2ヶ月たつ今でも、まるで牢獄だったあの医者で寝せられていた9時には眠くなるし、まるで臭い飯だった夕食の時間の5時には腹が鳴る、そんなありさまだった。現実の生活に慣れてきて、なんかあの数日が本当のことだったかどうか不思議な気分になることが最近ではあるけれど、右腕と左腕それぞれにある点滴のカテーテル痕が(右腕は一回目、左腕は二回目のもの、だ)あれは悪夢ではなく現実だったのだと俺に知らしめる。

 


ぶっ倒れた次の次の日、あれは日曜だった。俺以外の入院患者に次から次と見舞いの客が来て、やれ中古車の売り上げがどうだの(6人部屋の入院患者3人のうちひとりは、その妻と共同経営する脱サラした輸入中古車屋の社長だった)、やれ「看護婦のあなたがこの人の面倒をよく看なければならない」だの(もう一人は実際相当なじいさんだったがなんでもこうやって病院に運ばれる度に親しくなったデブの看護婦と再婚したようだった、そしてそのじいさんの異常に「スノッビーな」(堅物振る)「姉」だかいう奴がそんなことを言っているのが聞こえた)、ベッドの周りのカーテンを閉め切り、目をつぶって寝っ転がっているとそんな話ばかり耳に入ってきたものだった。
それは俺が仕事に就いてから経験した最悪の年の幕開けだった。その夏、仙台では34日連続で降雨を記録した。まるで「上がらぬ雨」に永遠に覆われてしまったかのように。