(再)Symptom 20160923(№23)(お萩)

(写真:萩沢写真館)

 

職場の連中はどいつもこいつもクソったれだった。いい加減な連中が思いつきで回してくるいい加減な仕事に振り回され、頭の中がいっぱいになる。思考が止まってわけがわからなくなる。業務終了時刻には、俺の頭は引っかき回され、何も考えられなくなっている。めちゃめちゃな形のものを、ぐちゃぐちゃに突っ込むから、いっぱいなるのだ。一人で過ごす時間を取り、めちゃめちゃなかたちの端を揃え、きちんと収納する時間が必要になる。だから俺は、仕事の後でやりたいことがたくさんあるのだけれども、家に帰ると思わず呆然となってしまう。整理整頓の時間が必要なのだ。しかし困ったことに、まだ仕事中にもかかわらず俺の狭い頭の中がいっぱいになってしまうときがある。そんなときはウォークマンのヘッドフォンを耳に突っ込む。頭を外の刺激から隔絶するのだ。一呼吸置くのだ。自分と外界を切り離すのだ。そうしないと、今度は次の症状が出る。
 

今まで「仕事に行くのが吐くほど嫌だ」というヤツの話を聞いたとき、「そんなわけあるか、吐くわけはないだろう、あほんだらが」と思っていた。しかし最近、職場のことをちょっと考えただけで腹にもやもやとした不快感を感じることがある。時にはそれが高じて吐き気にさえなることもある。前の職場では、思い通りに物事が運ばなくてイライラするという事はあったのだが、吐き気は初めてだ。俺はよほどこの職場が嫌いなのだろう、と思う。なんにせよ、あまりいい気分ではない。
 

まだ雪の残る細い町道を、ぐにゃぐにゃとハンドルを切りながら通り抜け、国道へ出る。そこから市の中心部方面へ2キロ、河川沿いを走る国道をただ延々と、川の流れに沿って走る。市街地へ入る一つ手前の交差点を過ぎたところで、そのまま市内には入らず、高速道路のインターチェンジへ通じる側道へ車線変更する。速度を落とし、少し車を寄せ、窓から手を伸ばし通行券を取る。隣のゲートから車が来ていないことを確認し、上り方面の本線に合流する。徐々にスピードを上げて本線の車の流れに乗る。
 

ヘッドライトがとらえる範囲からは、道は永遠に真っ直ぐに見え、その簡潔さに少し安心する。俺は幾分多めに頭をヘッドレストに預け、聴くまでもなく音楽に耳を傾け、それまでより少し多めに息を吸う。俺は高速道路が好きだった。真っ直ぐで、速い。シンプルだ。特に高速に乗り込む瞬間が好きだった。そこには人を安堵させる単純さがあった。町内から国道へ、そしてこうして高速道路まで車を進める一連の流れは、身体の末端を流れる血液が少しずつ集まり、だんだんと太い血管に向かって合流し、心臓へ帰っていくようだ。俺は血管の中の一個の血液だ。そんなことをぼんやりと考える。そして俺は、こうやってだんだんと大きな流れをたどって行くにつれ、安らいだ気分になる。あるいは俺は小川の一滴だ。小川は河川へと流れ込み、やがて河口に行き着く。
 

 血は、どこへ行くのだろう。

 

 水は、どこへ行くのだろう。

 

 俺は、どこへ行くのだろう。

 

こんなんでいいのだろうか? いや、よくないだろう。
 

口の中で鉄の味がした。 気分はメタリックだった。