(再)Symptom 「詩と写真6 2016」まとめ

(写真:萩沢写真館)

 

 「詩と写真6 2016」

一軒の家の前にいる。小学校の同級生の家だ。彼女の親は転勤族で、まさに今、そこから引っ越そうとしていた。「少年」というよりはむしろ「子供」と呼んだほうがふさわしい年齢の僕は、呆然とその家の前に立ちすくす。僕は幼なすぎて、自分の感情がいったい何なのか理解できない。何かを言うべきなのだが、何を言ったらいいのかわからない。

4月。新学期になって彼女の姿はない。

ひどく現実味のある、夢と呼ぶには不自然に整った夢だった。学校帰りによく腰掛けて、いつまでも下らないおしゃべりをした、彼女の家の向かいにある小さな教会の階段のコンクリートの感触。その隣の、セイヨウタンポポとシロツメクサに埋め尽くされた空き地の、むせるような雑草の匂い。彼女の父のだろうか、その家の駐車場に停まる白いセダンのフロントガラスに反射するギラギラした日光。彼女の家の前の、よそ見をして頭をぶつけてしまったことがある電柱。そのときの彼女の笑い声。その残響。 

感覚が、状況が、出来事が、全てが現実にそこにあったかのように生々しい。それは夢ではない。それはまさに再現だった。

 

§

 

彼女は盛岡に引っ越し、地元の中学に進んだ。ソフトボール部に入部し、市の大会では県選抜になった。担任教師の横暴さに業を煮やし、他の女子生徒数人と授業をボイコットするといったような、勝気で行動的なところがあった。

中学卒業と同時に再び親の転勤で、東京の私立高校に入学した。そこは仏教系の女子高で、礼拝のときに焚く香の匂いがしみついて嫌らしい。ソフトボールは、やめてしまったようだ。

これまでもらった近況を知らせる手紙には、そんなことが書いてあった。そして最終的にはホテルビジネスの専門学校を卒業、軽井沢のホテルに就職し寮住まいで働いている、とあった。彼女はよく、忘れたことに手紙をくれ、そんな彼女の身の回りのことを伝えてくれた。

僕は僕で、彼女の去ったその場所で残りの小学校時代と中学生時代で過ごし、退屈な高校時代を乗り切り、どこに向けたらいいのかわからない怒りを内包する学生として大学を出て、地方の公立高校の教員として日々を暮らした。

 

§


彼女との個人的な近況報告はここ何年ではほとんど絶え、かろうじて季節のやりとりが続いていただけだった(それでも物事が長続きしない性格の僕にとっては、極めて異例なことだったが)。確か数年前、「転居先不明」とスタンプを押された、見慣れた文字で宛先の書かれた年賀状(それはもちろん僕の字だ)が戻ってきて、それっきりだった。

そのホテルは、不景気の負債を抱えて経営不振に陥り倒産したとどこからか聞いた。もちろん彼女の勤務地であり居住地でもあるホテルとその寮も、今は住所のない場所になっていた。

 

§


その夢を見た日、僕はそんなことを思い返していた。そして同時に奇妙なものを感じた。僕は何かを見のがしているのではないだろうか。僕が見たものは単なる夢ではなく、何かの暗示ではないのだろうか。僕は、何かを望まれているにもかかわらず、果たすべき何かを実現していないのではないだろうか。僕は、言うべき何かを言い忘れているのではないだろうか。

仕事から帰ると、僕は年賀状や手紙を突っ込んでいる箱をひっくり返した。そして彼女から届いた手紙を取り出し、かろうじてつながっていた最近のほんの数通のやりとりを並べてみた。

そこには、軽井沢のホテルに就職が決まったこと、何かちょっとした交通事故のようなものに巻き込まれてしまったこと、その結果仕事を辞めたこと、休養期間を経て新冠のホテルに再就職したこと(観光案内のパンフレットが同封されていた)、仕事が休みの日には乗馬などをして生活をしていること、そんなことが書かれていた。

僕は、思いがけず彼女の近況に囲まれていることに気がつき、驚いた。彼女がどんな職場を選んだのかも、彼女が事故にあったことも、そのせいで職を変えなければならなかったことも、僕にとってはただ繰り返される日常の出来事の一つでしかなかった。しかし、よく目を凝らして「彼女」のことだけを見つめると、そこにははっきりとした一つの「流れ」があった。それは彼女の人生だった。

北海道の手紙の住所に出した年賀状が、宛先不明で戻ってきたのが最後の便りだった。馬に乗って微笑む写真とともに、彼女の行方はぷっつりと途絶えた。そういえばこの、手紙を突っ込んでいる箱も、彼女が転校した春に僕の誕生日にプレゼントを入れて送ってきてくれたものだった。僕は、何かとても重要なことを見過ごしているのではないだろうか?プレゼントはいったい何だったっけ?今では過去の様々な記憶の詰め込まれた箱だけが、その出来事を確認する唯一のなごりだ。彼女の手記だけが、彼女の人生のただ一つの証拠だった。

 

§


旧友との手紙のやり取りに、何か理屈のようなものが通じようとしていた。不揃いだったはずのカードが、ほんの一枚交換されただけで一転して意味のある札に化けてしまう。そんな理屈だ。しかもそれは喜ばれる類のものではない。それは不吉なカードだ。一目しただけでは分からない、しかし確実に人を蝕む悪意を含んだ札だった。いつだって、どこでだって、それは常に成立することを止められるべき手札だった。

「『私は居ました』ってこと、ちょっとくらい言ったっていいじゃない?歴史の教科書に載りたいとか、世界中の人々に覚えておいて欲しいなんて言ってるわけじゃないのよ?私の望んでいることはそんなにいけないこと?どうして私はダメなの?仕方ないんだよ、って言われて今まで何度だって我慢したわ。何度もよ。少しぐらいいいじゃない、私の思うようになることがあったって?私より恵まれていている人なんて、世の中にはいくらでもいるわ?私は、『私が生きていた』ってことを、私と関わりのあった人たちの記憶の片隅に、ただそっと置いておいて欲しいだけなの。ねえ、君は私のこと、覚えているよね?私が、あなたと居たっていうこと、覚えているでしょう?確かに私たちはあの時、居たんだよね?」

 

§


彼女が訴えているのが聞こえた。本当に聞こえたのだ。彼女には、「彼女は実際に居た」という一言が必要なのだ。僕は、彼女の人生を、彼女の記憶を追わなければならない。偶然とはいえ気がついた僕が、彼女の声を聞いてあげなければならない。彼女は断崖の端にいた。忘却という暗黒へと落ちる断崖だ。しかし彼女は声を発していた。追われることを望んでいた。彼女は自分が居ることを、過去の記憶を通して訴えていたのだ。

突然、吐き気が込み上げた。

これは予兆なのだ。

しかし、彼女は消えてしまった。写り込んだ部分だけが消去された記録写真のように。底の見えない深い深い穴に落ちてしまったように。彼女は消えてしまった。