(再)Symptom 20161005(№29)(お萩)

(写真:萩沢写真館)

 

「詩と写真6 2016」

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旧友との手紙のやり取りに、何か理屈のようなものが通じようとしていた。不揃いだったはずのカードが、ほんの一枚交換されただけで一転して意味のある札に化けてしまう。そんな理屈だ。しかもそれは喜ばれる類のものではない。それは不吉なカードだ。一目しただけでは分からない、しかし確実に人を蝕む悪意を含んだ札だった。いつだって、どこでだって、それは常に成立することを止められるべき手札だった。
 

「『私は居ました』ってこと、ちょっとくらい言ったっていいじゃない?歴史の教科書に載りたいとか、世界中の人々に覚えておいて欲しいなんて言ってるわけじゃないのよ?私の望んでいることはそんなにいけないこと?どうして私はダメなの?仕方ないんだよ、って言われて今まで何度だって我慢したわ。何度もよ。少しぐらいいいじゃない、私の思うようになることがあったって?私より恵まれていている人なんて、世の中にはいくらでもいるわ?私は、『私が生きていた』ってことを、私と関わりのあった人たちの記憶の片隅に、ただそっと置いておいて欲しいだけなの。ねえ、君は私のこと、覚えているよね?私が、あなたと居たっていうこと、覚えているでしょう?確かに私たちはあの時、居たんだよね?」