(再)Symptom 20160929(№26)(お萩)

(写真:萩沢写真館)

 

「詩と写真6 2016」

(1)

一軒の家の前にいる。小学校の同級生の家だ。彼女の親は転勤族で、まさに今、そこから引っ越そうとしていた。「少年」というよりはむしろ「子供」と呼んだほうがふさわしい年齢の僕は、呆然とその家の前に立ちすくす。僕は幼なすぎて、自分の感情がいったい何なのか理解できない。何かを言うべきなのだが、何を言ったらいいのかわからない。



4月。新学期になって彼女の姿はない。



ひどく現実味のある、夢と呼ぶには不自然に整った夢だった。学校帰りによく腰掛けて、いつまでも下らないおしゃべりをした、彼女の家の向かいにある小さな教会の階段のコンクリートの感触。その隣の、セイヨウタンポポとシロツメクサに埋め尽くされた空き地の、むせるような雑草の匂い。彼女の父のだろうか、その家の駐車場に停まる白いセダンのフロントガラスに反射するギラギラした日光。彼女の家の前の、よそ見をして頭をぶつけてしまったことがある電柱。そのときの彼女の笑い声。その残響。 



感覚が、状況が、出来事が、全てが現実にそこにあったかのように生々しい。それは夢ではない。それはまさに再現だった。