(再)Symptom 20161206,1208,1210(№57,58,59)(お萩)

(写真:萩沢写真館

 

ハリキリ先生のおもしろ日記(1)

「おや、ハリキリ先生。上機嫌ですね」

「あ、こんにちは、タダノ先生。いやー生徒に受けちゃって受けちゃって。「先生の授業、おもしろい」って言われてるんですよ。」

「ほおー、それはいいことですねー。」

「特に受けるのが、僕が大学生だった頃の話ですね。オンボロ車で友達3人と夜通し日本海に向かって走り続けた話や、岩手にバイクでツーリングに行って、わんこそばを食べたらむせて鼻からそばが出ちゃった、なんて。」

「なるほどー、先生の学生時代の話が「おもしろい」というわけなんだ。」

「ええ、あと真剣に聞いてくれるのが高校生だったっ頃の恋愛の話ですね。ちょうど生徒たちと同じぐらいの年齢だったときの話なので、興味津々って感じです。いやー僕っておもしろい先生だなー。」

「そうなんですか、先生の実体験の話が生徒にも身近に感じられるようですね。」




ハリキリ先生のおもしろ日記(2)

ところで先生、私、以前にある経験をしてそれ以来「おもしろい」ということについて考えていたことがあるんですよ。

私が初めて勤めた学校での話です。年度末に英語の点数が足りなくて、数人の生徒に補習授業をしたことがあるんです。補習授業に残った子達は英語が苦手というだけではなく、普段の授業でもなかなか話を聞いていられないという子達でした。 

私が補習授業で教えたことは1つだけでした。それは「主語に対応する be 動詞の変化」です。つまり、「「I」なら「am」、「you」なら「are」、「he/she/it」なら「is」に、 「be 動詞」は変化する」ということです。複数の代名詞「we / they」の場合や、代名詞以外の名詞が主語になる場合は教えませんでした。

それを「I (  ) a teacher.」の様な問題文を用いて、ただ覚えてもらったのです。そしてまったく同じ問題文でテストをしました。

するとどうでしょう。その子達は「おっ!これわかる!」、「あ、これ習った!」、「おもしれー!」と口々に言いながら楽しそうに問題を解いていきました。




ハリキリ先生のおもしろ日記(3)  

私は「おもしろい」という言葉を考えるときにいつも、この出来事を思い出します。

人間にとって「おもしろい」という事は、「できなかったことができるようになる、分からなかったことが分かるようになる喜び」なのではないかと。

そこにはテレビ番組の様な、なにかバカなことをやっているのを見たり聞いたりして感じる面白さはありません。しかし、成長する喜びを実感する面白さが存在します。

英語ではこの2つの「おもしろい」を分けて表現しています。何かおもしろい物事を見たり聞いたりする面白さを「funny」、そして、興味がそそられ、その興味が満足させられることによって生まれる面白さを「interesting」、と。

この2つのどちらか片方がより「素晴らしい」ものであるということはありません。授業においてはどちらの「おもしろい」も不可欠です。「funny」な雰囲気で常に生徒の注意を授業に向けながら「interesting」な事を教え、生徒の成長欲求を満足させる。それが理想なのではないでしょうか。