Symptom 20161001(№27)(お萩)

 

 

「詩と写真6 2016」

 

(2)

 

 彼女は盛岡に引っ越し、地元の中学に進んだ。ソフトボール部に入部し、市の大会では県選抜になった。担任教師の横暴さに業を煮やし、他の女子生徒数人と授業をボイコットするといったような、勝気で行動的なところがあった。

 

 中学卒業と同時に再び親の転勤で、東京の私立高校に入学した。そこは仏教系の女子高で、礼拝のときに焚く香の匂いがしみついて嫌らしい。ソフトボールは、やめてしまったようだ。 

 

 これまでもらった近況を知らせる手紙には、そんなことが書いてあった。そして最終的にはホテルビジネスの専門学校を卒業、軽井沢のホテルに就職し寮住まいで働いている、とあった。彼女はよく、忘れたことに手紙をくれ、そんな彼女の身の回りのことを伝えてくれた。

 

 僕は僕で、彼女の去ったその場所で残りの小学校時代と中学生時代で過ごし、退屈な高校時代を乗り切り、どこに向けたらいいのかわからない怒りを内包する学生として大学を出て、地方の公立高校の教員として日々を暮らした。