Symptom 20160919(№21)(お萩)

 

 

たずねられると困惑してしまう問いを、僕は幼いときから持っていた。それは世間一般ではごくあたりまえに問われ、そして答えられる問いだ。だれもがこの問いをたずねられ、そしてだれもがこの問いをたずねる。あたりまえ、と扱われるこの問いに、僕はつねに困惑させられる。

 

僕は公立高校の教員をしている。望んでなったわけではない、と思う。もともと僕は、職業というものに対する思い入れのようなものを持っていなかった。大学の4年をむかえた年、同級生たちは皆、教員志望者だった。教員採用試験よりも先んじて始まっている民間企業への就職活動の厳しさを友人たちから感じる機会はほとんどなく、そして僕は、彼らと同様、教員採用試験を受けることになる。

 

「大きくなったら、何になりたい?」子供によくある希望に満ちた将来の夢を聞きもらすまいと、大人は子供以上に目を輝かせて聞く。

 

「何か」に「なる」?僕は大きくなると、今の僕じゃない、「何か」に「なる」のかな。それは僕だけじゃなく、誰でもみんな大きくなると、今の自分じゃない他の「何か」に「なる」のかな。それは喜んだほうがいいことなのかな。今の僕じゃあなくなるっていうのは、ちょっと怖いけど、聞いてる人たちはなにか、とてもうれしそうなんだよな。これから先に、僕という人間を大きく変える出来事が待っていて、今の僕をなにかそうじゃないものとすっぽり入れ替えちゃうのかな。そして僕は、「何か」に「なる」のかな。僕は大きくなったら、大きな「僕」になるんじゃないのかな。でもいったい、大きな「僕」になるんだとしたら、それになる「僕」っていうのはどこにいるんだろう。僕が言いたいのは、こうして「僕」という形をとっている状態のことではなく、そうじゃなくて、なんていうかその、「本当の僕」のことだ。この僕の、外の世界に面する「形としての僕」を、実際に動かし、感じさせ、思考させる「本当の僕」、その「僕」はどこにいるんだろうか。

 

結局のところ僕は誰で、何のために生きていて、これからどうしたらいいんだろう。

 

質問は幾度となく、表面上はその形を変えこそすれ、何度も僕を問う。

「どんな学校に進学したいんだ?普通高校か、職業高校か?それはなぜだ?」

「自分の希望職種を下記の分類より選択し、記号で答えよ。」

「ねぇ、あなたの夢ってなに?」

 

漠然とした僕という存在に対し、その僕の意味についての問いがむなしく、ただむなしく繰り返される。