Symptom 20161204(№56)(お萩)

 

ハリキリ先生のなんでかな日記(その2)

 

 「それにね、先生、「分からない」から「学ぶ」のです。確かに先生が今教えていることは、中学校での既習事項の復習に過ぎないかもしれません。しかしですね、どの生徒も中学校英語を100%理解して進学してくるわけではなりません。簡単に言うと、全員の英語の成績が100点で入学してきたわけではないのです。どの生徒も「分からないこと」を抱えている。だから「学ぶ」ために高校へ来たのです。

 

 文字にするのはとても難しいのですが、ちょっとたとえ話をしてみましょう。

 

 「教える」ということを「階段を登る」ということに例えます。「センスのある子」は多少大きな段でも乗り越えることができる。でもそれは、「センスのない子」にとって高すぎる段だったりするかもしれません。そういった子に私たちができることは、できるだけその段を低く、小刻みに削ってあげることなんです。最終的には「センスのある子」と同じ高さまで登らせますが、そこまで乗り越えられるように段の高さを整えてあげることなんです。

 

 生徒がどこの段を越えられないでいるのか。そしてそこを越えるためにはそこまでの段をどこまで低く、ステップを細かくしてやればいいか。いつか先生に言ったように、「診断」して、「処方」する。それが私たちの仕事だとは思いませんか」