魚眼再開のよろこびからついおろそかになってますが、G1系とLOMOLC-AとLOMOフィッシュアイ等の
銀塩系作品の更新もせねばならんなー。
これはLOMOLC-Aで撮った作品です。周辺光量の落ち方がそれらしくて懐かしいなあ。
LC-Aの写りを再現したデジカメとかあれば絶対みんな飛びつくと思うんだけど。
写りが良すぎたってつまんないのよね。意外性というか、どっか不完全な感じに惹かれる人もいます。
「それによって夜明けはやってくる」で始まる詩に添えたことのある作品ですが、実はこれも夕景です。
先ほどと同じLOMOLC-Aです。
うーむ、魚眼系の2回目更新か、銀塩系の過去作品の更新か悩む所ではあるのう。
魚眼だけじゃなく超広角やマクロも使いたい…夢がふくらみんぐー。
ここまで写真撮る気になるなんて思いもしなかった。萩氏サンクスー。
過去のA・∞(詩と写真の合同サイト)から詩の再掲をしちゃうぞ。
写真はなんとかやってますが文章はまだ書けないなあ。努力はします。
「目覚め」
それによって夜明けはやって来る
ほとんど愛おしいと言うべき郷愁の色を帯びた衝撃を伴って
今日もやって来る、三千世界の向こうから
正しく傾いている光景
快復したと思っていた身体からの突然の痛みや
時間に付け加える事のできない予感を切り進みながら来る
ひたひたの眠りの終わりは
牛乳よりも白い、充ち満ちた丸い縁を循環し
薄膜のような記憶によっていつも突然に混ぜられる
冷静な、落とされた心の目次によって今日も
ぺらぺらとめくられるべきものだ
耳のために、それを探す事になるとは誰が思っただろうか
誰かの謝辞が終わった後
全ての音、テレビのノイズはひたすら眠りの質を落として
ゆらゆら動く人影の中に繰り返し消えていく
増殖し尽くした黒い馬の蹄の音だけはまだそこにあり
得体の知れぬ感情が胸を満たす
満たすものはいつも液体
私が動くたびに重くたぷたぷと形を変えて
馬の蹄はそこを駆けていき
水の馬は何度死んでも生き返る
繰り返しのすぐそこに、私はそれら、以下の事実を
知っているとも言えるし
知っているとも言えない
繰り返し為される順当な行為は
誰もその意味を突き詰めること無く
浮かび上がる何かのその先に、静かにつなぎ合わされていく